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認定特定非営利活動法人がんサポートコミュニティーは、がん患者さんとそのご家族のために専門家による心理社会的なサポートを提供するNPOです。

TEL. 03-6809-1825

105-0001 東京都港区虎ノ門3丁目10-4
虎ノ門ガーデン
214号室

乳腺がんBREAST CANCER

不安だった日々 A・I(50歳代女性、乳腺)
私のがん体験記 H・T(40歳代女性、乳腺)
患者に寄り添うがん治療 T・D(60歳代女性、乳腺)
ポジティブ・シンキング K・K(50歳代女性、乳腺)
がんと共に T・S(60歳代女性、乳腺)


「不安だった日々」A・I(50歳代女性、乳腺)

「先日の細胞診の結果はクラスVbです。で、どうします?ここでもう一度生検してもっと詳しく調べるか、大学病院に行って貰うかなんで、決めてくれますか。」ほとんど聞き取れないような早口で医師に言われたのは、胸に妙なしこりを見つけた数日後のことでした。「そう言われても…」と返事をするのが精一杯。「じゃ、別室で看護師と相談してください。もし予約するなら3週間後です。」医師は一度も私の方を見ないままこう告げ、検査結果の説明は終わりました。がんという言葉は一度も言われませんでしたが、これは大変なことになったのだ、と思いました。動揺したままクリニックの外に出ると、目の前が真っ暗になった自分とは対照的に、そよ風が吹き、新緑が太陽の光にキラキラと輝くとても美しい日でした。私は自分の前に暗闇の洞窟が広がっているような気持ちでその中をとぼとぼと歩きました。クリニックに行く前と今では、私の人生は天と地ほどに違ってしまった。もう前の世界には戻れないのだ…。今まで経験したことのないような悲しみとショックに打ちのめされました。これからどうしよう。どうなるんだろう…。
そんな中、もう一人の自分が「それにしてもあのクリニック、すごく冷たく事務的で、何も説明してくれなかったね。何だか嫌じゃない?」と、問いかけてきました。医師と看護師の会話を聞いていると、どうやら限りなくがんの可能性が高いらしいのですが、検査の前も後も私にははっきりした説明がなかったのです。何がなんだかわからないまま検査を受けてしまったけれど、なんとなく対応にしっくり来ないものを感じました。そこで、インターネットを頼りに探した都内のクリニックに電話をして事情を説明してみると、医師が直接電話に出てくれ「とにかく明日いらっしゃい。」との御返事を頂きました。翌日訪れたクリニックは明るく、リラックスできる雰囲気に満ちていました。丁寧な診察と検査を受けたのち、初めてがんという言葉で告知をされました。やっぱりそうか、と何だかすっきりしました。その場で、手術を受ける病院での初診を受ける手配までして下さいましたので、ゆっくり驚いている間もないまま慌しく病院に移動し、その日のうちに執刀医の診察を受けることになりました。突然割り込んで来た患者にも関わらず、ここでも一通りの診察と検査を経て、手術方式まで含めポイントを押さえたわかりやすい説明をして下さいました。詳しい検査はこれから順を追って行うものの、手術日まであっという間に決まり、主治医作成の詳しい資料を頂いて帰宅しました。昨日の今日でこの急展開、いよいよ正式にがん患者となったわけですが、不思議と落ち着いて告知を受け入れる事ができたのを覚えています。やはり納得が行くまでクリニックを探し、順を追って説明を受けることができて良かったと思いました。この時点で50%位は前向きになり「もうここまで来たら仕方ない、頑張って闘うしかないんだ」と心構えのようなものもできたのですが、一方では「夢だったらどんなにいいか」とまだ願っている往生際の悪い自分がいました。
考えてみると、49歳まで一度もがん検診を受けたこともなければ、日頃から自身の健康を過信しており、体を労わるなどという考えは全くありませんでした。食べたいものは好きなだけ食べ、お酒もどんどん飲む。そんな生活の報いが来たのだなあ、と妙に納得もしました。手術までの一ヶ月はあれこれと仕事の算段をする一方、検査にも何回か通い夢中で過ぎました。その後も手術そして放射線治療と、次々押し寄せる出来事を自分なりに消化するのに精一杯で、ゆっくりする間もない日々が続きました。大きな不安の波が襲って来たのは、治療がやっと一段落した頃です。何ともいえない不安にかられてインターネットにアクセスすると、実に様々な情報が溢れています。自分の予後について不利な情報を目にしてはいちいち動揺し、なんとかそれを打ち消す情報を必死に探す。また別の日は新たな情報を見て不安になり、何とか打ち消そうと躍起になる、その繰り返しです。世の中の人は皆健康で幸せそうなのに、何で自分だけこんな目に…そんなことばかり考えては気持ちが暗くなる一方でした。「大きなショックを受けた場合、否認や怒りなどの段階を経て、やがてそれを受容できるようになっていきます」と書いている本もありましたが、そんなに段取りよく簡単なことではありませんでした。仕事にも復帰し、一見元気に振舞ってはいるものの、大勢で楽しく話している時などに、どういうわけか突然ものすごい孤独感が襲って来て、いたたまれない気持ちになることが何度もありました。自分だけ違う部屋にいて皆を眺めているような、妙な感じがするのです。その感じが恐ろしくて、次第に人との交流も避けがちになり、じっと穴倉に潜むような気持ちで毎日を過ごしていました。そんな時、がんサポートコミュニティーの紹介を偶然目にしたのです。勇気を出して就労者を対象にしたサタデーグループや数々の楽しい行事に参加するうち、それまで冷たく凝り固まっていた気持ちが、少しずつほぐれていくような気がしました。自分だけが大変なんだと思っていたら大間違い。たくさんの先輩、仲間が今日も頑張っている。ここに来れば何も無理することはないし、本当の「今の自分」でいられるんだ、ととてもほっとしたことを覚えています。皆さんに勇気付けられながら、お蔭様で手術から2年半が過ぎましたが、まだまだ折に触れて不安にかられる日があります。でもそんな時こそ皆さんの笑顔と優しさを思い出し、それを頼りにしながら、これからも一歩ずつ歩んで行きたいと思っています

スタンフォード大学の精神科医スピーゲル博士は「積極的な治療が一段落した後、驚くほどストレスが大きくなる。それは医療者との頻繁な接触やサポートが減り、積極的な治療がしばらく休止するからである。」と述べています。そんな「孤立感」が癒されるのは同じ立場にある仲間との出会いだと指摘しています。サポートグループはそんな出会いの場です。

「私のがん体験記」H・T(40歳代女性、乳腺)

右胸のしこりに気づいたのは2009年、桜が満開の頃だった。下着を着けようとした時、異質な硬さの塊が手に触れた。とてもイヤな感触だった。「ひょっとして」「まさか」「そんな事はない」「でも」とどんどん不安になっていく。しかも、しこりが存在観をアピールしているかのように鈍い痛みまで感じる。それからはネットで情報を貪るように検索し、乳がん関連サイトを見まくった。検査を受けるにしても、どこに行ったらよいのか全く分からなかったのだ。乳腺外科である事を知り、会社に近いクリニックに予約を入れる。取れた予約は1ヶ月後。「そんなに時間がたっても大丈夫なのか」とかなり不安になったものの、看護師さんの「乳がんだったとしても進行は遅いから大丈夫」との言葉を信じて待つことにした。その間、しこりの事を忘れることはできなかった。夫にも親にも言えなかった。
やっと受けた検査の結果を聞いたのが5月も終わり。細胞診の結果はクラスX。がんが確定した。外はよい天気で、道行く人達はだれもが楽しそう。「もう自分は皆とは違うんだ、戻れないんだ」と思った。
それから治療を受ける病院探しが始まった。自宅から通い易い病院を選んだが、不幸にも先生との相性が悪く、別の病院に移る事にした。新しい病院でやっと治療を開始した時にはもう7月になっていた。治療は、術前化学療法を6ヶ月受けた後に温存手術、その後に放射線治療を30回、分子標的治療を1年続け、ホルモン治療に至っている。治療を開始してからは、ただひたすら前に進むだけだった。抗がん剤の副作用はつらかったけど、しこりが小さくなっていくのを実感できたから頑張れた。
治療が一息つく頃から頭を離れなかったのは、再発・転移の事だった。この先どうしたらよいのかを必死に探していた。そんな時にがんサポートコミュニティー(当時ジャパン・ウェルネス)のことを知る。数ある患者会とはちょっと趣が違っていてプログラムが魅力的だ。早速入会し、就労者を対象としたサタデーグループに参加してみて「ああ息ができる」と感じた。家族や友人は親身になってくれるけど何かが違う。ここには本当に分かってくれる仲間がいた。「ああ、自分ひとりじゃないんだ」とわかり心がすごく軽くなった。
何故自分ががんになったのか、これからどうしたらよいのか、解答はまだみつけられない。けれども、あせらずにゆっくりと前向いて歩んで行こうと思う。


患者さん同士支え合うのが患者会であり、ピアサポートです。私たちは患者さん相互によるピアサポートを目的として、同じ課題を抱える患者さん同士が集まる“場”を提供し、臨床心理士、ソーシャルワーカーや看護師といった専門家が運営する患者支援団体です。

「患者に寄り添うがん治療」T・D(60歳代女性、乳腺)

20088月、ある大学病院で乳がんの手術を受けました。乳頭腺がんでした。手術後主治医より抗がん剤とホルモン剤の治療を勧められましたが、私は副作用で身体がダメージを受ける治療は受けたくありませんでした。そこで、がん専門病院の腫瘍内科でセカンド・オピニオンを受けることにしました。「当院のデータでは、抗がん剤の治療を受けると再発率10%、受けなければ20%程度。」と、わかりやすく説明を受けることができましたが、迷いは深まりました。
そんなときに竹中文良先生に出会うことができました。竹中先生は私の気持ちをしっかり受け止め、話を聞いてくださいました。そして、竹中先生は、「抗がん剤はしなくてもいいよ。でもホルモン剤は飲んだ方がいい。10年ぐらいは大丈夫。でも、一度がんに罹ると他の部位もがんに罹りやすいんだよ。」と仰いました。
ようやく気持ちの整理がついて決断することができ、主治医にホルモン剤を飲むことを伝えました。ホルモン剤を飲みながら、がんサポートコミュニティー(当時ジャパン・ウェルネス)の活動に参加しました。数か月、何とか副作用を我慢し続けようとしましたが、眠れない日が続き、苦痛でした。副作用が出ていることを主治医に話しても何のアドバイスもありませんでした。あるとき、がんサポートコミュニティーに参加していることを話すと「そんなところに入っているから副作用が気になるんです。」と怒り出し、それからは病院に行くのも苦痛になりました。また、その頃、母の入院や介護も加わって、精神的にも限界でした。
どこか他の病院に移ることはできないかと考え、がんサポートコミュニティーのセカンド・オピニオンを受けたところ、竹中先生が「私が責任を持って紹介しましょう。」と言ってくださいました。紹介いただいた現在の病院の主治医は、とても優しい先生で、話を良く聞いてくださいます。もちろんがんサポートコミュニティーのことも良くご存知で、何のストレスもなく、自分の病気と肝臓がんに罹ってしまった母と向き合って、明るく前向きに過ごすことができています。今は次々に湧いてくる転移への不安、身体の不調を一つ一つモグラ叩きです。

今は亡き竹中先生、がんサポートコミュニティーの事務の皆さん、そして乳がんサポートグループの皆さんに感謝しながら日々を過ごしています。

「医師」を意味する Doctor という英語は、ラテン語で「教える」という意味を持つ doceoと関連しています。 ラテン語で -tor の形は行為者の名詞を表すので、Doctor とは「教える人」という意味です。T・Dさんにとって竹中先生は、まさにDocotrだったのでしょうね。

「ポジティブ・シンキング」K・K(50歳代女性、乳腺)

3年前のクリスマスの日、私は海の見える病院で乳がんの手術をした。ステージT、リンパ節転移なしという事前の説明からがんの告知のショックはあったものの自分のがんは早期発見したのだから大丈夫だと思っていた。術後の病理検査の結果、リンパ節に微小転移が見つかり、リンパ節廓清の再手術と術後抗がん剤をするようにと説明を受けた。その時、私は空中ブランコのように目の前の景色がぐるぐると回るような錯覚を覚えた。術後の弱った体と疲れ切った心に追い打ちをかけるような医師の言葉が脳裏から離れない。「あなたはスキルス性の乳がんですから抗がん剤は受ける方がいい」と。私は「なるべくなら抗がん剤は受けたくないのです」と述べた。暗い気持ちで診察室を出る私の後ろ姿に「サプリメントに走らないようにして下さいね」と言われた。今にして思えば医師の何気ない一言がぐさりと胸に刺さるのも病気の特徴だが、抗がん剤を勧めるにしてももう少し患者の気持に沿った言い方はないものだろうか。
抗がん剤が私にとってのベネフィットとリスクは何なのかすぐに答えは見つからなかった。その時、知識としてオンコタイプDXの検査のことは知っていた。遺伝子検査で抗がん剤が効くかどうかを調べて無駄な治療と経費を避けるというものだ。しかし、その検査は保険が利かず高額なもので誰でもができるものではなかった。私が手術をした病院ではその検査は推奨しておらず病院を変えるしか方法はなかった。患者にとって転院は容易なことではない。医師との気まずい関係や受け入れ先の病院探しなど大変なことが多いが、私は思い切って正直な気持ちを医師にぶつけてみた。医師は今の遺伝子検査の現状を話し、自分としては賛成ではないという前置きをして私の決断を受け入れてくれた。
私は以前にセカンド・オピニオンを受けた病院に再び意見を求め、その結果遺伝子検査をその病院で受けることかでき、またその後の放射線治療、フォローアップを約束して頂いた。その間、術後5ヶ月近く過ぎていた。その頃の私は必死で藁をもつかむ気持ちであったが自分の意思で考え納得のいく答えを手繰り寄せて行った。今後どのように病気と向き合うにしても治療の答えはひとつではなく、あらゆる情報の中で正解は自分で掴み取っていくものだと確信している。


米国のプロテスタント神学者であるハリー・エマーソン・フォスディックの言葉に、「A弦が切れたら残りの三本の弦で演奏する。それが人生である。」という言葉がありますが、K・Kさんのポジティブ・シンキングはまさにそんな思いでしょうか?

「がんと共に」T・S(60歳代女性、乳腺)

私は平成7年に乳がんの手術をしています。当時、私を含め世間一般が乳がんは取れば怖くないがんと思っていました。それが後に大変厄介ながんと知りました。今日は誰もがネットで容易に知識を得ることができますが専従主婦でした私は何から知識を得ればよいか皆目わかりませんでした。乳房が一つなくなるだけといとも簡単に考えていました。主体的に捉えた治療を最初から放棄して先生任せのダメな患者でした。
そして半年が過ぎ術後はじめての検査を受けました。両肺、気管支への転移とその上顕微鏡レベルの検査をすれば肺全部ががんですとの主治医の言葉。夢にも思わない結果でパニックになりました。また限られた命であることも知りました。生きるということ、死ぬということを考えざるを得ない状況になりました。治療は抗がん剤を点滴ですることになり遠隔転移ですので楽な治療ではないと覚悟を決めて受けましたが、やはり辛いものでした。点滴の治療は5年間続きました。その後はホルモン剤の飲み薬に変わり、現在に至っています。がんとの共生も14年目に入りました。日常生活には支障はありませんが、がんを完全に忘れるということはありません。前向きに生きなければと思い、行きたい所に行き、やりたいことはやる、他人を当てにしない、頑張りすぎない、明るくそして感謝すること、これらを心がける。そして紙人形を長年作っているので教える。大変ですかが楽しく生きるハリになりました。それでも再発転移の恐怖は常にあります。
私はがんサポートコミュニティー(当時ジャパン・ウェルネス)に入会して8年になります。気持ちが沈み、どうにもならない時にサポートグループに出席しますと、そこには同じ苦しみを持つ仲間がいます。そこで萎えた気持ちに活力が戻り、立ち直りができます。どんな状態であっても何の条件もつけずに受け入れてもらえる場所です。入会を勧める小さな新聞の記事との出会いが私のがん人生に大きな安心となっています。それは信頼のおけるスタッフの皆さまのお陰と感謝しております。


サポートグループは、自分と似たような境遇にある多くの仲間と関わり、語り合うことで、自分が決して独りではないこと、自分らしく生きていくことの大切さ、また貴重な情報やがんとの向き合い方を知ることができます。T・Sさんの14年目になるがんとの共生体験がサポートグループの仲間の萎えた気持にも活力になっていると思います。

バナースペース

認定特定非営利活動法人
がんサポートコミュニティー

105-0001
東京都港区虎ノ門3丁目10-4
虎ノ門ガーデン
214号室

TEL 03-6809-1825
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