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認定特定非営利活動法人がんサポートコミュニティーは、がん患者さんとそのご家族のために専門家による心理社会的なサポートを提供するNPOです。

TEL. 03-6809-1825

105-0001 東京都港区虎ノ門3丁目10-4
虎ノ門ガーデン
214号室

体験者の声SURVIVOR'S VOICE

きょうの私 Y・M(60歳代男性、肛門管)
きのうの私 Y・M(60歳代男性、肛門管)
あしたの私 Y・M(60歳代男性、肛門管)
がんになって考え、行動したこと Y・T(50歳代男性、直腸)
ジャパン・ウェルネスに出逢えて M・N(50歳代女性、直腸)
未来へのチャレンジ M・Y(50歳代女性、直腸)
がんと共に私らしく K・O(50歳代女性、S状結腸)


「きょうの私」Y・M(60歳代男性、肛門管)

ジャパン・ウェルネス(現がんサポートコミュニティー)の会員になって、教えてもらったことが二つある。笑うということと深呼吸をすることだ。
今年に入って、パートでも良いから仕事を探そうと決心した。自分に課した条件は、
1)仕事は選ばない。
2)前職である運転手ではなく、初めての職業を、である。
これがなかなか採用されない。障害者(私は直腸がんの手術で人工肛門になっている)であるというのは正直に話したが、どうも敬遠されたようだ。5月になって、スーパーマーケットの青果部に採用が決まった。これとて採否までに時間がかかった。「障害者で大丈夫か」という不安の声があったそうだ。
私は泣くことによって、うつ状態を抜け出すことができた。そのときに思ったのは、今の自分をありのまま素直に受け入れよう。「これが自分なんだ」と考えることで随分と精神的に楽になった。口は軽く、体も軽く、何事も落ち込むことなく、前向きになり、考え方も柔軟になってきたと思う。
手術後の放射線治療を終えて、抗がん剤を半年間服用したが、検査で骨転移が見つかった。これは第二の告知であったが、「あっ、そうですか」で終わり、ショックはなかった。
今年3月、腸から出血した。口からと腸からとファイバースコープを入れて検査をしたが、異状なしだった。主治医とモニターの画面を見ながら、自分の腸の中を初めて見た。案外綺麗なんだなと思った。あの出血は何だったのか、結局判らずじまいだ。人間の体ってつくづく不思議だ。
働くようになって2か月が過ぎた。初めての仕事、初めての人たちの中で、忙しく時間に追われ、失敗や後悔をすることばかり。自然を愛でたり、周囲を意識する余裕などなくなっていた。
ふと我に返り思い出す。そう深呼吸することを忘れていた。外に出て、久しぶりに夜空の月を眺めながら、ゆっくりと深呼吸をした。
障害者であることは申告したが、がん体験者であることを隠して面接を受けた。最近、そのことで少しだけ不安を覚える。もし、仕事中に倒れたら、ということだ。しかし、自分はまだ働ける。今はそれを考えないようにしよう。働くことの辛さや嬉しさ、働けることの喜びを味わっているのだから。


長田弘氏の著書に『深呼吸の必要』(晶文社)というのがあります。長田氏は深く吸って吐くだけでなく、言葉を深呼吸することが必要だ」と説かれ、言葉をたちどまらせることにこだわり続けた散文詩二章33篇が収められています。機会があれば、言葉の深呼吸を体験してみてください。

「きのうの私」Y・M(60歳代男性、肛門管)

手術が終わり、ベッドに寝ていた時が私は一番辛かった。手術前は実感もなく、良くわかっていなかった。手術後は否応もなく傷痕を見て実感させられた。それから悶々とした日が過ぎていった。必要以外はベッドから出なかった。夜も眠れなかった。考えることもしなくなり、常に「これからどうしたらいいだろう。どうなるだろう。」という思いに暮れていた。
テレビを見ても面白くなく、入院中は読書三昧だと思い、持ってきた本の中から『西の魔女が死んだ』を取り出して読み始めた。なかなか集中できず数ページ読んでは本を放り出していた。そのうち徐々に物語に引き込まれ、「そのとき、ある声が自分の内と外から同時に響いた。西へ・・・」ここまで読んだ時、私は泣いた。主人公まいと一体になっていたのかもしれない。これまでの思いが頭の中で渦を巻いて、私の頭の中でも何かが弾けて一瞬熱くなった。泣いた。泣いた。どうしても涙が止まらない。今までこんなに長く泣いたことはなかった。泣き止んだ時、気持ちはスッキリとしていた。今まで悶々としていたのが嘘のようだった。その夜初めて短くではあったがグッスリと眠った。翌早朝に目が醒めて気分が良かったので休憩室へ行った。この休憩室の窓からビルとビルの間に朝日を浴びてピンク色に染まった富士山を初めて見た時は、素直に感動した。
それから早朝に休憩室へ行くことが私の日課となり、積極的に院内をうろつき、人と進んで話をするようになった。そうした時にガンサークルを知った。入院中ではあるけれど、外出許可を取り、出掛けて行った。そこでK夫妻に会った。K夫人は末期がんで手の施しようがないとのことだった。サークルが終わった後もK夫人とは手紙や電話のやり取りが続いた。K夫人が一人で私の見舞いに来られた時はビックリしたが嬉しかった。この頃、K夫人はまだ元気だった。10月に電話で話をした時、「モルヒネを注射して入院も長引いている。食欲も全然ない。」と言っていた。
1117日、私は、よみうりホールで開催される講演を聞きに行くため、電車に乗っていた。満員に近い状態で携帯電話が鳴った。電話の主はK夫人だった。K夫人の声は今までと違い、弱々しくか細いものだった。車内で電話を続けるのも憚られたので、「一時間後に」と言って切った。その一時間後に、またK夫人から電話があった。しかし、今度は講演中だったので電話に出ることができなかった。休憩時間になってK夫人に電話を掛けたが通じなかった。
12月に入って、K夫人のご主人から「亡くなりました。」と連絡を頂いた。ショックは大きかった。私にとって「なぜ、あの時、電話に出なかったのか。」と悔やんでも悔やみきれない痛恨事になった。今でも、あの時、K夫人は何を言いたかったのだろうかと私の脳裏を時々過ぎる。
今、私はジャパン・ウェルネス(現がんサポートコミュニティー)の会員になり、「無理をしない」をモットーに毎日を過ごしている。


梨木香歩著『西の魔女が死んだ』(新潮文庫)の西の魔女であるおばあちゃんの言葉に「サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない」「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありません」このそっと心に染入るおばあちゃんの言葉にY・Mさんの「無理をしない」というモットーに納得です。

「あしたの私」Y・M(60歳代男性、肛門管)

私は今、知りたいことが二つある。一つは、今日明日にも亡くなるであろう患者さんに「自分がいつ頃死ぬか判りますか」と聴きたい。もう一つは、緩和ケア病棟で働いている看護師さんに、たくさんの患者さんの死を看取ってきて、「死とはどういうものと感じていますか」と聴きたい。
私は今、死ぬということを身近に思うようになってきている。自分でも「まだ早い」と思うのだが、準備だけはしておこうと考えている。なぜならば、同じ死ぬのなら人任せではなく、自分の希望通りに死にたいではないか。それには体が動き、頭が働いているときだからこそと思う。
2006年4月に直腸がんの手術をした。手術が終わってICUへ運ばれてから出血した。血圧が全然上がらず看護師さんの「血液型は何!!」という必死の声が薄っすらと聞こえ、「A型」と応えたことをかすかに覚えている。輸血をしてようやく血圧が60まで上がって事なきを得た。その時のことは、ほとんど覚えておらず後から聞いた。
痛くも苦しくもなかった。その時は、もう一歩死の世界へ踏み込んだ状態ではなかったか、と思っている。もしそうならば、死ぬ時というのは痛くも苦しくもないものだと思う。これを踏まえて言うならば、痛みがあった時はそれを取れば良いし、苦しい時は嬉しかったことを思い出せば良い。そして「死ぬ」ということを不安や恐れを感じないで、素直に受け入れてしまえば、楽になれるのではないだろうか。死に至るまでの「生き方」と「死に方」は、これからの私の課題である。
今の私は「死ぬ」ということが、少しも怖くない。ただやりたいことがあるので死神君に「ちょっと待て」と、待ったをかけている。いずれにしても、幸いなことに(?)がんの死は急に訪れることはない。考える時間は十分に与えられている。
何をどうするかはまだ決めていないが、最後だけは決めていることがある。まず、無駄な延命措置はしない。尊厳死を選ぶことと、最後のその時に自分の傍に医療関係者だけしかいなかったとしても、あるいは誰もいない一人だったとしても、今まで生きてこられたことに対し、感謝の言葉として「ありがとう」を言おうと思っている。
最近読んだ永六輔著『大往生』の中にあった一節。女優賀原夏子さんの言葉。「いよいよ死ぬかと思うとドキドキしちゃう、初めてのことって面白い」この流れとして「初めて死ぬのに、この経験が役者として役に立たないのが口惜しい」気に入っています。


尊厳死とは、“尊厳ある生”の延長線上にあるものだと思います。だから“尊厳ある生”を生きてこそ、“尊厳ある死”を迎えられると思います。“尊厳ある生”というと、1989年に上映されたロビン・ウィリアムズ主演の『今を生きる』という映画を思い出します。

「がんになって考え、行動したこと」Y・T(50歳代男性、直腸)

50歳で会社を早期退職し、第二の人生をスタートして、5年。まさか、自分ががん、家系的にも、食生活もバランスよく摂っていたのと思い起こす間もなく、がんの発見から容赦なく、規定路線通り進んでいく、あっという間の半年でした。それは、2007年95日に直腸に腫瘍があることから始まり、1011日に、人工肛門もつけるかもしれないという、ステージVの手術、そして、術後の抗がん剤治療、1226日に肝臓に転移して、310日に転移の手術。
このまま、死を待つしかないのか、無農薬野菜、健康飲料の仕事をしているのに、このまま死んでしまうのであれば、自分の今までの生き方まで、否定されてしまう。それから、本を読んだり、インターネットを見たり、自分で考えました。「がんばろう」とかしてはいけないとか、ストレスを持たない、今までの人生を変える。でも、今の自分には、そのようにできる状態では、ありませんでした。しかし、塞ぎ込んでいても何も解決しないので、知人や取引先に、「がんになっちゃったよ、発見も遅くて」と言ったら、実績のある水、野菜とか色々サンプルを戴きました。ある方が言いました、とにかく、『何でもいいから、がんがなくなれば』と。そして、原発の手術後、抗がん剤治療をしながら、色々トライしました。そして、何と、肝臓の手術をしたら、がんが見つからなかったのです。担当医は、CTに間違いなくあったと言いながら、誤診か消えたのか、今でもわからない状態です。
でも、私は安保先生の「免疫機能を云々」という説に感激、これしか解決の方法はない、そのためにどうしたら良いか、と自問自答しながら、毎朝、野菜具沢山の味噌汁を作ったりして、実践しております。当面は、4ヶ月に1回、CT検査、本当に、自分の体からがんが消えたのかは疑わしい、油断はせず、まず5年生存を目標に努力。
幸い、岸本葉子さんの本を読んで、ジャパン・ウェルネス(現がんサポートコミュニティー)の存在を知り、そこでのサポート、がんのことを隠さず何でも話せる仲間ができたこと、とても励みになっています。
そして、いつも、「私の体には自然に治る力がある」「私の体は病気をすることによって、将来もっと健康になる方法を学んでいる」とアンドルーワイル氏の言葉を思い浮かべながら、毎日を精一杯生きようと思っています。


アンドルーワイル博士は薬用植物の世界的権威で、人間に本来備わっている自然治癒力を引き出すヘルスケア・システムである統合医療を提唱しておられます。Y・Tさんの“医食同源”の師匠でしょうか。

「ジャパン・ウェルネスに出逢えて」M・N(50歳代女性、直腸)

久しぶりに長い休暇が取れ、2009年末から2010年初めまでモロッコに行きました。旅行中からおかしいなと感じてはいたのですが、まさかそれががんだったとは思ってもいませんでした。
バレンタインの頃、やはりいつもと様子が違うというか、何か不気味なものを感じてかかりつけの診療所を受診しました。かかりつけ医の先生は痔ではないと診断し、内視鏡検査のできる近所の内科医を紹介してくださいました。内視鏡検査をしてくださった近所の内科医、初対面でしたが、いきなり直腸がんだと、それも早期ではないと、はっきり言われました。
後で考えたらこれがいわゆる告知だったのですが、その時はただ事実を聞いたというだけの受け止めでした。その後四月に神奈川県立がんセンターにて手術を受け、6月から翌年2月まで計11回の抗がん剤治療を受けました。途中副作用がひどく食べられず、体重が36キロまで落ち、やめようかと思いましたが、なんとか60%で続けました。
これまで健康には自信があり、いわゆる3大生活習慣病とは無縁、健康診断を軽視し、長寿の家系の私は何で死ぬのだろうか、と考えていました。
娘のがんを表面上は冷静に受け止めてくれた両親、熱烈歓迎で面倒をみてくれた妹夫婦、昔と変わらぬ付き合いをしてくれる旧友たち、それぞれがありがたい存在ではあるけれど、暗い海に小舟で漕ぎ出したような孤独感はどこかにありました。
がんに関する本を読んだり患者会に参加しようかとか、宗教、気功、食事療法と不安を鎮める解決法を探しました。でも、どこにも正解はないのかと考えていた時、たまたまシンポジウムの記事を目にしました。
それがジャパン・ウェルネス(現がんサポートコミュニティー)との出逢いです。今では短期サポートグループ、大腸がんサポートグループ、ヨーガや自律訓練法に参加し、「がん友」がどんどん増えています。お互いの体験にこんなに同調でき、時には涙を流すこともあります。ほぼ初対面の異性と排泄の話で盛り上がってしまうなんて考えられませんでした。そんな話が自分を癒していることに気づきました。
健康であること、それは何にも代えられないものでしょう。でも、がんになってしまった。今後自分もいつどういう状態になるかわかりません。でも、その時の現実を受け止め、自分のできるだけのことをするだけだと思えるようになってきました。
がんは個性的です。ジャパン・ウェルネス(現がんサポートコミュニティー)に集う仲間たちはそれ以上に個性的です。今はこの出逢いに感謝しています。


「暗い海に小舟で漕ぎ出したような孤独感」に立ち向かう勇気は、創設者の故竹中文良先生が語られた「真夜中のドライブ」のエピソードに通じますね。
「真っ暗闇で遠くは見えなくとも、ヘッドライトが届くところまで勇気を出して行こう。それから先は行った時点で考えよう。」

「未来へのチャレンジ」M・Y(50歳代女性、直腸)

201112月、麻布のセント・メアリー教会でステンドグラスから射す光を背に受けながら私は歌っていました。1年弱の闘病生活の区切りに、ここまで支えてくれた家族・友人・同僚に感謝の気持ちを伝えたいと願い、元気に歌う姿を見せることができました。
私は今まで仕事の傍ら山歩きやジョギングで汗を流す生活スタイルで、そんな元気印の私が腸の不調を感じ始めたのは20098月でした。10月の大腸内視鏡検査では異常なし。その時の「神経の異常であれば一生治らないかもしれませんよ」との医師の言葉にカチンときて東洋医学に傾倒し、過敏性腸症候群との診断を信じて漢方医院に通いながら指圧・鍼灸やヨーガに取り組みましたが症状は悪化。20112月激しい腹痛が始まり腸閉塞の疑いで早朝緊急入院、正午に直腸癌多発肺転移(ステージW)の告知を受け、夕方に人工肛門造設手術(腫瘍は切除せず)を受けました。その直後は癌告知と大出血のショックや東日本大震災の余震もあってよく泣きました。術後1か月後から抗がん剤治療を始め、現在も2週間おきの通院治療を継続しています。その後本屋でふと手に取った岸本葉子さんの本でがんサポートコミュニティーを知り、20115月に入会。現在はサポートグループ、ヨーガ、いきのちから合唱団に参加しています。
サポートグループで様々な病状の方のお話を聴いて、私は体内にがん腫瘍を持っているけれども、白血球も下がらず今のところ病状が安定していて食事制限もないなど、自分が恵まれていることに気づきました。同時に様々な治療についての実態情報を得て、自分で治そうと思う気持ちが強くなりました。何よりサバイバーや事務局の方々、また患者仲間の暖かい励ましと笑顔にとても勇気づけられています。
また「肺にいいかな」と軽い気持ちで参加した合唱の練習で、プロのソリストの先生の楽しくも素晴らしい指導にすっかり魅せられ、仲間と歌うおもしろさに目覚めました。
現在は手術前の体重・体力が戻り、目の前の治療のことだけでなく、少し遠くを見てこれからのことを考えられるようになりました。そして、がんという影を知ったことで、元気に過ごせる何気ない日常生活に喜びを感じるのです。また周囲の人々の愛情に改めて気づき、私の心に感謝と感激が増えました。
抗がん剤治療はこれからも続きますが、今の自分にできること、少しでも人の役に立ちたいと願い実行すること、そのように今を前向きに懸命に生きていれば、きっと未来を作れると信じています。副作用の吐き気にも薄毛にも負けず、そんな生き方にチャレンジしていこうと思っています。


腹式呼吸で吐くときは、副交感神経が働きます。緊張しているときは交感神経、リラックスするときは副交感神経が働くのですが、吐く時間をゆっくり取ることで、副交感神経を作用させるのでリラックス効果が得られます。まさに「いきのちから」でしょ?


「がんと共に私らしく」K・O(50歳代女性、S状結腸)

東京の街が今年も桜色で染まる頃、私はがんサバイバー5年生になりました。
思い起こせば2013年4月。軽い気持ちで受けた初めての大腸内視鏡検査から腸閉塞になり、夜間救急で病院に運ばれ、「大きな腫瘍が腸を塞いでいます。おそらく悪性でしょう。」と告げられた時から突然始まった私のがんサバイバー人生。

病室の窓から見える通勤電車に、自分が乗っていないことが理解できず、「悪い夢でも見ているのかな?明日の朝になれば、元の健康な私に戻っているかもしれない。」と何度も思いました。でもそのかすかな望みは、術後初めてのシャワーでお腹にくっきりと残る大きな傷跡を見た時絶たれてしまいました。
がんサバイバー新入生の私が背負ったランドセルはあまりに重くてただただ悲しくて…。退院後は頭の中にステージ3bという言葉がぐるぐる回り、この先どこをどうやって歩いていけばいいのか途方に暮れるばかりでした。「がん」というニ文字を見るのも恐ろしく、テレビや新聞も全く見ることができなくなってしまいました。
夏までは何も手につかず、自分だけが違う世界に生きているような深い喪失感と、心配ばかりかけている申し訳なさと、身体のサインを見過ごしていた後悔の中で生活していた気がします。
退院後四か月ほど経ってから、心配をかけてしまった家族のために、何とか元気にならなくてはと思えるようになり、少しずつ自分の心と身体の回復に向けて良さそうなことを始めていきました。
ヨガ、食事療法、ガーデニング、パワースポット巡り、ひとりカラオケ。
今では私の生活になくてはならないものになっている趣味や習慣が、その後ニ度の転移(そのうち一つは奇跡的に消えましたが)と再手術、約2年間の抗がん剤治療、という一番辛かった時期を支えてくれました。また家族や友人、主治医の先生、病院のスタッフの方は、時に恐怖や不安でうずくまりそうになってしまう私にいつも手を差し伸べて、光のある方へと導いてくれました。
がんサポートコミュニティーへの参加は、ニ度目の手術を終えた2014年の秋でした。
私が参加させていただいている大腸のサポートグループは、2名のファシリテーターの方のもと、とても温かく和やかな雰囲気の中で安心してがんを語ることができます。
がんという体験を通して、リアルに死を感じた皆さんのお話は真っ直ぐで優しく、生きる意味を学ぶような深さを感じます。また私と同じステージだった方が、仕事や趣味に打ち込んでいらっしゃる姿は何より心強く、いつか私もこうなりたい!という目標を持つことができました。おかげさまで昨年の1月には仕事にも復帰することができ、がんになる前の生活を取り戻しつつあります。
現在も経過観察中なので、がんサバイバーという名のランドセルはまだ背負っています。でもこの姿で歩き、生きていくことが私の人生なのだと思えるようになりました。
「いつかこのランドセルが、お腹の傷と共に自分の誇りになるように、そして今度は私が誰かに光を届けられる人になりますように!」
がんになって迎えた5回目の七夕にそう願った私です。

小学校1年生、2年生にとって大きなランドセルは負担になってしまうことも…。重い荷物でもランドセルの背負い心地がよければ軽く感じることができます。サポートグループの参加が少しでも背負い心地の良さに寄与できればと願っています。

バナースペース

認定特定非営利活動法人
がんサポートコミュニティー

105-0001
東京都港区虎ノ門3丁目10-4
虎ノ門ガーデン
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FAX 03-6809-1826