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特定非営利活動法人がんサポートコミュニティーは、がん患者さんとそのご家族のために専門家による心理社会的なサポートを提供するNPOです。

TEL. 03-6809-1825

105-0001 東京都港区虎ノ門3丁目10-4
虎ノ門ガーデン
214号室

胃がん・食道がんGASTRIC & ESOPHAGEAL CANCER

がんとの闘病には経験者の情報が貴重です T・T(70歳代男性、食道) 
今日一日を大事に S・K(60歳代男性、胃)
ベスト・フレンド S・U(60歳代男性、食道)
癒しの絵、癒しの歌 Y・Y(60歳代男性、食道)
がんになって K・U(50歳代女性、食道・肺)
がん患者になって S・H(60歳代男性、胃)

「がんとの闘病には経験者の情報が貴重です」T・T(70歳代男性、食道)

2004年秋、近所の胃腸科で検査を受け、食道がんと診断されて手術を勧められました。 しかし、食道がんの手術は10時間以上もかかる難しい手術で、退院後も普通の生活には戻れないと聞いていましたし、70歳を間近にした私には、そんな大手術には体が耐えきれないと落ち込みました。しかし、インターネットで情報を探したところ、食道がんを手術ではなく、放射線と抗がん剤で治療して、元気になったという人のホームページに出会いました。そこで、その人に電話して直接話を聞き、私のがんもこの治療法で治せると光を見出した思いがしました。
早速、同氏が治療を受けた病院の外来に受診して、治癒を確信して放射線化学療法による治療をお願いしました。
12月に入院治療を開始して、治療の区切りで退院し、また入院と、入退院を3回繰り返し、翌年4月で予定した治療が終わりがんは消えて、現在は6年目になります。
今は1年ごとに経過観察を受けていますが、気がかりな転移・再発の予防策はまだない様なので、免疫力の強化しかないと、郭林気功、太極拳を始め色々やってきました。現在は、毎日を明るく前向きに生きようと、短歌を詠み落語や旅行も楽しみ、ヨーガに通い、またウォーキングも楽しくと、日本橋を起点にした、東海道五十三次を始めとする五街道を、仮想で歩く万歩計を使って7ヶ月かけて踏破しました。
私は、手術以外の治療方法で元気になった人をインターネットで知り、私もその治療で生きられると確信できて立ち直れたのですが、実際にがんと向き合ってきた人の、経験に基づく情報はとても貴重だったと実感しています。そこで、ジャパン・ウェルネス(現がんサポートコミュニティー)の会員になって、皆さんの経験をお聞きすることは、とても勉強になっています。
今は私が健康になれたことの恩返しを、新しい患者さんにしたいと、患者会を始め様々な機会に経験をお伝えしたり、患者の声を取り入れた、患者用の手引き書づくりを進めている、国立がん研究センターの「市民患者パネル」にも加わってそのお手伝いもしています。

がんの状況を診て主治医が「この場合はこれしかない」とか、「これが一番」と勧めてくださるのでしょうが、患者側としては「そう簡単ではない」という場合が多いのだと思います。T・Tさんはインターネットで、手術以外の治療方法で元気になった人を知り、その治療で生きられると確信されました。今後は患者目線を活かしてT・Tさん自らの体験を配信する活躍を期待します。

「今日一日を大事に」S・K(60歳代男性、胃)

1.余命3ヵ月
「末期胃がん、何の治療もしなければ3ヵ月しかもたない」と宣告されてから、すでに5年半経過した。その時は、開腹したものの胃の状態が極度に悪く、手術不可能ゆえ抗がん剤を行うと伝えられた。これに対し、人工的な苦しみなしに自然な死に方をしたい、長く生きたいのではなく人間らしい生き方をしたいので、抗がん剤は飲みたくないとこちらの希望を話す。話し合いは最初が教授(この人に冒頭の「余命3ヵ月」と宣告された)、2回、3回目は講師と都合3回行ったが、講師は医学的見地から、患者たる私は生き方の問題と捉えているため、埒が明かず、最後は講師が怒り出す始末であった。結局、いとこの医師の「飲む価値はある。飲んで体質に合わなければ止めたら良い」との助言により、認可されたばかりの経口抗がん剤TS-1を飲むことにした。また、入院してすぐに病棟の医師から「病院にいても治療方法がないから早めに退院して欲しい」と言われた。今なら病院経営の観点からそう言ったものと理解できるが、その時はつくづく病院は頼りにならず、何と冷たい所かと僅か11日間で退院することになった。
2.奇跡
外来による抗がん剤治療が始まった。主治医は3回にわたり喧嘩しながら議論した講師その人で、ここから長い付き合いが始まった。TS-11ヵ月服用、半月休みを1クールとし、3ヵ月毎にCT、胃カメラを撮り、進行状況を診ていった。第3クール(飲み始めてから4ヵ月目)の胃カメラで、何とがんの78割がなくなっているのが確認され、さらに第6クール(飲み始めてから7ヵ月目)には、がんがほぼなくなっていた。主治医は「これは奇跡だ。宝くじが当たるより凄いことだ」と興奮し、その後、学会に報告したとのことだった。それではと、私は病院の帰り、宝くじを買うも柳の木の下にドジョウはいなかった。2年半後、TS-1の服用を中止し、その後は転移・再発なく現在に至っている。主治医からは「このケースが世間に知れ渡ると、胃がんの手術をせずにTS-1のみで治して欲しいと言う人が出てくる。あくまでも木村と同じ遺伝子を持つ人のみ、手術しなくて済むと考えている。(その時がきたら)木村の遺伝子を調べさせて欲しい」と今から頼まれている状況にある。
3.心構え
初めての病気が末期胃がん。事態を平静に受け止めることができなかった。特に慌てたのは死に対する心構えがなかったことである。例えば誰かががんに罹っても自分にはそんなこと起こらないと思っていたし、また、いつ死んでもおかしくない世の中なのに、自分だけはまだまだ先のことと考えていた。それ以来、色々な本や資料、各種シンポジウム、情報交換会に参加したが、答えは思いがけない身近なところから探し当てた。それはジャパン・ウェルネス(現がんサポートコミュニティー)の坐禅である。坐禅の終わった後、松濤老師(京都・大徳寺龍泉庵住職)から「明日を思い煩わず、今日一日を大事に生きなさい」とのお言葉を頂いた。先を考えるよりも目の前の一日一日を大事に生きなさい、その日その日を最後の日として生きなさいということであろうか。あの時の自分の置かれた状況の中で、この言葉にどれだけ力づけられたか、そして気持ちが乱れた時、この言葉を言い聞かせ、わが心の立て直しを図ってきたのである。この心構えで、取り敢えずの危機は乗り越えてきたが、今後は慌てずに平静に受け止めるためには、さらに学んでいかなければと思っている。(90歳の母の介護のため、ふるさと宮城県に滞在中。なぜ生きたのか、なぜ生かされたのかの答えの一つが母の介護と思い頑張っております。)

松濤老師の「明日を思い煩わず、今日一日を大事に生きなさい」とのお言葉は、「生きる意味」を見失っていたとしても、それは今の自分に都合の良い「人生の物語」が見つからないということ。そういう時は「生きている」が一番大切なことであり、「生きる意味」を無理やり探すことはないということなのでしょうね。

「ベスト・フレンド」S・U(60歳代男性、食道)

犬は人間の最良の友。わたしは犬が大好きです。感情表現が実にうまい。散歩のそぶりをすると、ちぎれんばかりに尾を振り、跳びあがり、足元の匂いを嗅ぎ、ことさら喜びを身体一杯にあらわし、そして散歩用の綱を繋ぐと、安堵の様を示す。妥協のない、確りした意思表示をするのも特徴の一つだ。彼(1994127日生まれの柴犬のミックス、老屋外犬)は朝夕の散歩の地図が頭の中に描かれていて、門を出ると右に行くか左へ行くか先ず自身で決め、それから歩く道筋が彼の頭の中で組み立てられる。途中でわたしが道を変えても従わず自らが描いた道筋を主張するので、仕方なく従う。
このような彼が時々体調を崩す。大体はイネ科の雑草を食べて体調を整えるようだが、食欲旺盛な彼も時には自ら一食抜いて健康回復を図ることがある。犬は自ら予防的に免疫力を高めたり、発症すれば如何に治すかの自然治癒力が備わっているようだ。
誰かに起こり得ることは、誰にでも起こるのだということが、いよいよわが身にも起きた。
セネカの言う自然に属するわが身の養生の悪さへ反逆の警告が発せられたのだ。200681日食道がんの宣告を受ける。
食べ物が時々つかえるようになり、加齢から来る嚥下制御不良かと思いつつ、頻度が高まるにつれ、心配で近くの内科医に診察してもらうと、直ちに内視鏡検査を受けるように指導された。そして、食道がんを宣告された。
がんと聞いたとき、患部を外科的治療で切り取れば治せると思っていた浅はかな知識は見事に覆された。説明を受けるに従い、78時間におよぶ大掛かりな手術になること、そして予後のQOL80%程度にさがること、さらに合併症の心配も加わり、徐々に手術が怖くなって来る。しかし、これが標準治療なのだ。治したい一念で自らの治療方針を選択するのに迷いに迷い、悩み抜いた末に、標準治療の手術をやめて、化学放射線療法を選んだ。その根拠は5生率が外科的治療も化学放射線治療もほぼ同じだが、食道の温存が期待でき、QOLが優れているからだった。しかし、再発しやすいリスクがある。30%は再発している。起こりうることは常に覚悟しておかなければならない。いざという時に狼狽しないように。そして、悪い予感というのは、良い予感より遥かに高い確率で的中する。
一通りの治療終了後、次の検査で局所再発が見つかる。筋層に近い深い部分にあるので手術でとるように勧められたが、避けてきた手術でここに来て食道を失うのはどうしてもやりきれない。主治医に訴える内に、光線力学療法での処置が有効なことが分かる。この治療も終わったが、今度は食道に狭窄が残り、食事がスムーズに通らなくなり、時々つかえから嘔吐するようになる。その後1年余の間、毎月のように内視鏡下でバルーンによる拡張術を続けた。
治療後3年が経ち、今は発症前の健康状態に戻ったと自覚している。朝夕、犬との散歩は絶好のウォーキングの機会になり、脚、腰の筋肉を使うことで、血流をよくし、免疫力を高める効果があると思っている。犬はマイ・ベスト・フレンドである。


拙宅にも15歳になる老屋内犬が2匹おります。犬の泣き声を翻訳する犬語翻訳機バウリンガルが音声対応になったとの報道を耳にしました。S・Uさんの「You are my best friend!」との思いにS・U邸の老屋外犬も「Me too!」と応えるのではないでしょうか?

「癒しの絵、癒しの歌」Y・Y(60歳代男性、食道)

思いがけずがんを患ったことで、それまで見えなかったことに気づくという得がたい体験をなんどか味わうことができた。いわば病によって未知の心の領域が開かれたといって良いのだろうか。私にとってそんな体験を2つばかり記してみたい。
1つは3年前、食道がんが見つかり大手術を終え病棟のベッドに伏していたときのことである。痛みと辛さと不安のなかで、20余年も前、フランスのアルザス地方で出会った一枚の絵が何の脈絡もなくとつぜん脳裏に甦ってきたのだ。コルマールという小都市にある美術館の「イーゼンハイム祭壇画・キリスト磔刑」であることはすぐに見当がついた。キリスト受難の絵画の中ではもっとも惨たらしいとされるグリューネヴァルトの描いた16世紀の絵だ。血塗られ、ざっくりと開いた傷口、肌に刺さる無数の棘。もうろうとした頭に浮かぶイメージは妙になまなましかった。
なぜかそのとき過ぎった思いは「もう一度なんとしてもあの絵を観たい」という心の渇きにも似た思いだった。クリスチャンでもない無信心の身にいったい何がおこったのか。手術でわが身を切り刻まれたせいか。不思議に思いながらそんなことも忘れて退院した。
だが、あとでふと手に入れた画集の解説を読んで驚いてしまった。画家は、疫病の犠牲者や患者を勇気づけ、死を克服する手助けになると信じてこの絵を描いたという。病気と痛みは魂を生き返らせる恩寵の表現でもあったというのだ。実際、当時の患者たちは癒しの絵として崇めていたという。術後の苦痛のさなか無意識のうちに求めていたのはこういうことだったのか。なんという符合だろう。 
もう1つの体験は、ウェルネス(現がんサポートコミュニティー)の活動で「いきのちから」グループに入会して合唱を始めたことだ。合唱などは小学校以来縁がなかった。おまけに少々音痴気味ときている。しかし、初めてこの会のテーマソングである「今こうして」を皆と歌ったとき、不覚にも涙がこぼれてきてしまった。病を得て心のどこかに封印してきたものが、この素敵な歌によっていっぺんに解かれてしまったせいだろう。60代半ばの身としては気恥ずかしいことこのうえないのだが。
元気になったら、アルザスを再訪すること、合唱をもっと大きな声で歌えるようになること、この二つが今の目標である。


「羊」と「我」の合成が「義」であり、「我の責任の限りの犠牲」という意味を持っています。孔子の『論語』の中に「羊」は宗教的祭式において献物として利用された動物で「犠牲の動物」の意味があり、そこから「羊」を要素とする合成漢字には「犠牲」の意味が含まれています。だから「美」とは「大いなる犠牲」という意味が隠されています。

「がんになって」K・U(50歳代女性、食道・肺)

「がんになって良かったことは何ですか?」
8年位前の事です。短期サポートグループの帰りに皆でおしゃべりをしている時、メンバーの一人の方から聞かれました。
その頃の私は、食道がんと肺がんの手術を同時に行ってから1年3〜4ヶ月が過ぎ、少しずつ術後の身体が回復してきたとはいえ、機能が変わってしまった身体はまだまだ大変な時期でした。
そんな時の思いもよらない問いかけに、一瞬「ん…?」と戸惑ってしまいましたけど、振り返ってみると「良かったこと」が沢山あることに気が付き、視点を変えると違って捉えることができて、気持ちも前向きになるし素敵なことだなと思いました。
良かったことの一つに母と長い時間一緒に過ごせたことがあります。入院前からそばにいてもらい主人も私も心強かったし、こんなに一緒に過ごしたのは何十年ぶりのことでした。
ただ何年も経ってから、私の病気が解ってから母は心配して泣いてばかりいたと弟から聞かされたときは申し訳ない気持ちでいっぱいでした。私の前ではそんな素振りも見せずに明るくしていてくれたので安心して療養することができました。
胃腸が弱く健康には人一倍気を付けていた母ですが、昨年がんと診断されてから四ヶ月でこの世を去ってしまいました。最愛の母と会えなくなってしまった寂しさはなかなか癒えないですが、母の笑っている顔を思い出すと、ほのぼのとした気持ちになります。


生きている限り悩みの種は尽きません。お母様の、影で涙汲む姿を知ったとき申し訳ないと思い、それをひた隠す姿に気づいて優しさに包まれる。悩みには実体がなく、ほとんどの悩みは自らの心が作り出す幻影、視点を変えれば消滅するものなのだなと感じました。

「がん患者になって」S・H(60歳代男性、胃)

地域新聞の掲載から、本会のことを知り、がんサポートコミュニティーの会に参加してから、早くも一年になりました。当時、本会に入会する半年前に早期胃がんの手術を受け、思いもよらない毎日の食事療法と排便することの大変さを実感している時でした。また、9年前に女房を乳がんで亡くし、今回自分ががん患者になったこと、自分の仕事が抗がん剤などの新薬研究開発をしていたという何とも言えない複雑な気持ちで、落ち込んでいる時でした。
胃切除による消化機能低下から、食べられる物が制限されたこと、毎食毎の胃のダンピング症状による不快感、術前と比較して一回の食べる量が減ったこと、食回数が増えたこと、良く噛んで、ゆっくりと食べることに注意して食べないと、直ぐに便秘になるという、厄介な術後の後遺症がいろいろとあり、現在も回復はしていません。食事療法について、パソコンや書籍から得られる情報は以外と少ないこと、病院の先生に尋ねるのは3分診療では無理との思いから、参加すれば自分の症状に対する疑問点、不安、悩みが少しでも解消されるのではという期待感もありました
実際参加してみて、皆さんがいろいろと不安に思うこと、共有できる情報が多くあることに、共感させられました。また、家族の方に話しにくいことも皆さんに聞いてもらうことで、自分のがんに対するストレスを少しでも、一時的にでも解消できる利点もあることにも、気づかされました。本会をいつも陰ながら、献身的にサポートして下さるスタッフの方に、心から感謝、感謝です。
心のケアについては、女房を亡くし、その落ち込みをどのようにケアしたら立ち直れるのかを悩んだ時期があり、現在の不安と少し共通点があるように思われます。自分の不安や悩みを少しでも相手に理解してほしい、共感してほしいという人間の本能的欲求かもしれません。
がん患者になり、気づいたことがあります。それは、自分だけがどうして、がんになったのかという思いです。初めてがんの宣告を医師から告げられた時のショックはまだ昨日のように鮮明に記憶しています。自分は数年前まで喫煙を長年してきましたので、がんになっても自業自得を思っていると同時に、同じように喫煙してきた友人はどうしてがんにならないのかという、被害者意識です。がんになる人とならない人の差はなんなのかという疑問です。
がん患者の不安、苦しみに対して、非がん患者(いわゆる健常者)は、本当に理解してくれているのか、その共感がないのではと思うことさえあります。
例えば、がんを切除しても治癒することはないことが、普通の病気とは異なることが非がん患者には理解されていないのです。退院してからも何年間もまたは死ぬまで通院することも理解されていません。また、自分が、がんになって初めて女房の心情が理解できたような気がします。がん患者と非がん患者の間には何か、渡り切れない、よく見えない運命かと思えるさだめ川が両者に横たわっているような気がします。非がん患者はがん患者の気持ちを本当に理解し、寄り添う気持ちを持って欲しいという、がん患者の切ない心の欲求かもしれません。
がんで死ぬことに特別な不安はないですし、むしろがんになったことから、自分の最期もある程度予期できるだろうと思っています。女房を亡くした一週間前まで、自宅でがん患者の看取りの経験ができたことからかもしれません。
がんに対する再発の不安はこれからもありますが、死に対する自然な悟りを持つこと、残りの人生をがんと共に生きながらえることができたら、とても幸せではないかなと思います。


「治療において体と心はひとつであり、切り離して考えてはいけない。体同様、心を癒やすことも必要なのだ。」という米国ルイジアナ州にあるツーレーン大学産科婦人科教授ジェフ・ミラーの言葉を思い出しました。


バナースペース

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