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特定非営利活動法人がんサポートコミュニティーは、がん患者さんとそのご家族のために専門家による心理社会的なサポートを提供するNPOです。

TEL. 03-6809-1825

105-0001 東京都港区虎ノ門3丁目10-4
虎ノ門ガーデン
214号室

前立腺がん体験者の声PROSTATIC CANCER

がんと生きる M・S(60歳代男性)
プロトン T・E(70歳代男性)
いのちの細い道 K・N(70歳代男性)


「がんと生きる」M・S(60歳代男性、前立腺)

都内の大学病院で前立腺がんの手術を受けてから6年余りが経過した。会社を定年退職して間もないころの手術であった。術後は幸い再発や転移はなく、今のところ腫瘍マーカーによる経過観察だけで済んでいる。こう話すと経過は順調のようだが、実は大きな不安材料を抱えている。
私のがんはいわゆる早期発見で悪性度もそれほど高くなかった。手術は病院が得意とする腹腔鏡を使ってのもので、手術の出来について執刀した主治医は「私の自信作です」と言って太鼓判を押した。一般に早期の前立腺がんを手術した場合、腫瘍マーカーのPSAの数値は3〜4週間ぐらいで底を打つ。たいがいゼロ近くまで下がり、そのまま安定すれば完治につながることになる。私の場合も当然完治のケースと思った。ところが私のPSAは充分下がらなかった。そのうえ今なお安定せず、検査の度にかなりの幅で上がり下がりしている。3か月間で一気に5倍近くに上昇したこともある。「がんの取り残しでは」と尋ねても、主治医は「それはわからない。あまり心配しないでください」としか答えてくれない。そんなやりとりのあげく自分の気持ちを整理し、「完治はほとんど無理かも知れない。がんと一生つき合おう」と覚悟を決めた。
この6年余りの間にいくつか教訓を実感した。PSAに振り回されないこと。治療を急ぎ過ぎないことも大事だ。PSAは前立腺の異常に極めて敏感でがんの判断には大変有効だが、その数値に翻弄されてノイローゼに陥る患者が少なくないという。私も数値が下がらないため何人もの医師にセカンド・オピニオンを求めるなど、今から思えば明らかに「PSA症候群」になりかかった時期があった。現在は検査の間隔が開いたうえ数値の変化も比較的小さく、気分的にも落ち着いた状態である。だが今後の保障はもちろんなく、検査の際にはあの極度な緊張感から逃れることはできない。
術後にPSAが急上昇したのは1年半ほど経った頃だった。主治医の表情も険しく治療の再開もやむなしと観念したが、医師は「もう少し様子を見ましょう。次はきっと下がりますよ」と述べ間隔を縮め検査を継続した。結果、主治医の見立て通りに数値が下がり、治療の危機は回避された。数値はその後も揺れ動いているが、今のところその頃を超えることはなく、術後五年に近いあたりでこれまでの最低を記録している。もしホルモン療法や放射線療法が開始されていたら、今のQOLはかなり違ったものになっていたと思う。治療を急がず慎重に対応してくれた主治医に感謝している。セカンド・オピニオンでは再発を警告する医師もいただけになおさらである。
このごろ道端の雑草にも目が向くようになった。遊歩道の桜は厳寒のなかで花芽を育み始めている。草木の生命力には感動するばかりである。趣味のゴルフやコーラスからも勇気をもらっている。今後自分の病状がどのようになろうとも、あるがままに受け止め前向きに生きていきたいと思っている。

がんと生き 冬それなりに 楽しけり

PSAに一喜一憂しないことで、気持ちは安らかになり、趣味のゴルフやコーラスを楽しめる。まさに一挙両得ですね。


「プロトン」T・E(70歳代男性、前立腺)

8年前、2003年の春、毎年の人間ドックで、PSA(前立腺特異抗原)が5.9で、がんの可能性を知らされた。寝耳に水で相当に動揺した。恐怖感に襲われ、自然と書店に足が向かい、「前立腺がん」と題した本は手当たりしだい読んでいた。今思うと、その時期が最も恐怖に満ちたときであったように思う。基本的治療は外科手術であることは判った。が、その前年、2002年に東京都葛飾区の青戸病院で、前立腺がんの腹腔鏡手術で、患者が死亡する医療事故があり、新聞で報道されていた。それで、手術にかなり不安を感じていた。
その時、偶然『新世紀のがん治療、からだに優しい陽子線』と題する本に出会った。これは2001年に若狭湾エネルギー研究センターで開催された国際フォーラム「陽子線がん治療」の内容をまとめた本であった。国内外の研究者の報告のうち米国Loma Linda大学病院のLes T. Yonemoto医師の研究発表が特に目に留った。
同大学病院の前立腺がん陽子線(プロトン)治療の成績に関するものであった。治療後五年間の生存率を他の有名大学病院で行われた摘出手術と比較したものであった。わずか1%であったが、陽子線が好成績であった。
その後、国立がんセンター東病院(現在の国立がん研究センター東病院)でも陽子線治療が始まっていたことを知った。しかし、症例を見ると、同病院で当時200例(前立腺がん)を超えてはいなかった。一方、Loma Linda大学病院では8000例を超えていた。
そこで、5月の末に渡米し、同病院を訪れた。そこには外国人専門の窓口があり、Yonemoto医師に面談し、陽子線治療を受けた。
治療には4ヵ月程かかったが、南カリフォルニアの風物を楽しんでいるうちに治療は終わっていた。その後、同医師の治療概要書をいただき、国立がんセンター中央病院(現在の国立がん研究センター中央病院)を訪れ、フォローをお願いした。その後、何も問題なく順調に経過している。
Loma Linda大学病院には、ジャパン・ウェルネスと良く似た患者のための楽しい集まりがあり、医師の話や、病状を語り合う機会が毎週のようにあった。患者への思いやり溢れる病院であった。今では懐かしい思い出になっている。


米国においては現在、男性の場合、がん患者の三人に一人が前立腺がんであり、最も患者が多いがん。遠藤さんが受けられた先進的な陽子線治療が進んでいるのも頷けます。

「いのちの細い道」O・K(70歳代男性、前立腺)

がんは誰にとっても意外な形でやってくるのだろう。私の場合、2009年3月に、年度末だからと出かけた人間ドックで、PSA5.6と出て精密検査を、といわれた。その足で、近隣医師に相談すると、地域中核病院の泌尿器科を照会して予約を取ってみよう、ということとなった。その後は診断、1泊2日の生検、そして前立腺の12か所からの細胞を取り八か所ががん細胞、グリソンスコア9、と悪性度が高いと判明。この間がんや前立腺の本、ネット情報といろいろ当たり、知識が増えるとともに不安も渦巻く。手術か、放射線か、セカンド・オピニオンのために他の病院の医師も尋ねる。こうして結局は四月下旬に、内腔鏡下全摘手術を受ける。9日後退院、PSA値がぐっと下がって今日を迎えている。手術以前は、病期2Bだったが、開腹後の病理診断では病期3Bと一ステージ上がっていたから、ぎりぎりで手術が可能だったということになる。執刀医の適切な判断に大きな感謝をしている。手術以前も手術後もがん関連の自覚症状は全くない。ただ手術後およそ1年の今日でも、ほんの少々の尿漏れがあり、その克服が課題である。こうして再発への気がかりを残して、私の第1回目のがん患者体験は終息しようとしている。
この体験を通して感じたことは誠に数多くある。3つだけ記してみる。
第一に検査技術の発達と、しかし、すべてが予約、予約で病院の皆さんが超多忙であること、いのちは瞬時の判断の延長線上で細い道を運ばれている、と感じた。
第二には医療的ケアに比して患者の他の側面を支える福祉的ケアがまだ少ないことを痛感した。家族・友人・知人は支えのネットワークであるが、患者を傷つける場合も少なくない。心のケアに関しては、同病者の押し付けでない体験談が、何よりの励ましになるとも知った。がんの発症は個別性があること、対応は一人一人異なることも知った。
第三にがん発症時の年齢は、がんに対する姿勢に大きく影響するから世代を超えて通用する普遍性のある生活信条は限定されている、と考えた。私は本年75歳、後期高齢者となる。がんを抱えることによって自分の存在しなくなった日常風景を色濃く想像できるようになったことも、新しい体験である。


自分と似たような境遇にある多くの体験者と関わり、語り合うことで、自分が決して一人でないことや、がんは百人百様で自分らしく生きていくことが何よりも大切ということに気づいていただく場がサポートグループです。

「いのちの細い道」K・N(70歳代男性、前立腺)

私のがんとの闘いも今年で16年目に入りました。病歴は前立腺がんで、1996年3月の血液検査でPSA13.7、8月に針生検、12月に前立腺全摘手術を受け、その後プロスタールを服用しました。56歳のときのことです。2003年7月の血液検査でPSA1.87、11月の針生検で再発を宣告され、04年1月に手術を受けた病院とは違う大学病院で放射線60グレイ照射を受け、その後カソデックスを服用しました。06年10月の血液検査でPSA0.131、再再発と宣告され、06年11月よりリュープリン注射を継続中です。11年2月の血液検査でPSA0.005、現在、私の病期はW期です。
がんとの16年に及ぶ闘いを通して大きく感じたことが3つあります。図らずもがんになられたばかりの皆さんに、ぜひ参考にしていただければと思います。
(1)最初に治療した病院(あるいは診療所)とそこの担当ドクターとで患者の寿命がほぼ決まってしまうということです。治療(手術、放射線治療等)を開始後の病院とドクターの変更は実際問題なかなか困難です。最初の選択が大変重要であることが再発後に痛感しました。
(2)最近は患者自らが治療方法を選択する例も多いです。しかし、経験のない患者が決めるのは難しいことです。私は自分のがんの今後の治療にどんな方法があり、どれが今の自分にベストかを決めるのに、ジャパン・ウェルネスのサポートグループに参加することが一つの方法だと思います。サポートグループは自分と同じがんの患者から治療方法やその結果の効果・副作用・効果の持続性等の体験談を聞き、学ぶことができます。私は、前立腺がんサポートグループに参加することで同じがんの患者の体験談を聞くことで、治療方法の選択の参考にもなりましたし、自分の今後に対する不安を解消することもでき、また将来への希望を抱くこともでき、救われる思いでした。逆に私より病期が進んでいない患者にとっては、私の病歴の話が参考になると思います。私の16年のがんとの闘いでは、何よりも同病者の体験談が参考になっています。
(3)セカンド・オピニオン(さらにサード・オピニオン)を受けることをお勧めします。私の場合、全摘後に再発して設備の関係から別の病院で放射線治療をしました。その後、再度PSA値が上がってきたときに全摘手術を受けた病院のドクターと放射線治療を受けた大学病院のドクターと次の治療をどうするかについて全く意見が異なっていました。そのため前立腺がんのサード・オピニオンをがん専門の病院で受け、専門的な話を聞くことができ、その上主治医宛に治療方針を郵送で送ってくださいました。しかし、それと時を同じくして私は膀胱がんの疑いもあり、その見極めのために、さらに違う病院を受診しなくてはならない状況でした。まさに当時の私は “がん難民”でした。そこで、私はジャパン・ウェルネスのセカンド・オピニオンを受けることにしました。理事長の竹中文良先生(当時)と総合病院に勤務されていた中神百合子先生(当時)の2人が真剣に相談に乗ってくださり、その上大病院への紹介状もお願いできることになりました。当時、“がん難民”だった私にとっては、まさに“地獄に仏”の心境でした。ことは自分の生命に関わる大問題です。自分の信じられる病院等でセカンド・オピニオンを活用してドクターとの対話も積極的に自分の納得のいく治療を受けること、それが“がん”との闘いには大切だと思います。

がんの治療法が多様化してきているということは、病院や医師によって治療方針が変わる可能性が多いということです。K・Nさんの三つの示唆は、これからのがんを抱えながらも「がんと上手に付き合う時代」のがん患者心得になりますね。

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