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〒105-0001 東京都港区虎ノ門3丁目10-4
虎ノ門ガーデン214号室
国立がん研究センター 企画戦略局長
兼同中央病院 乳腺・腫瘍内科 科長
私はがん専門病院で乳がんを中心にがん患者さんの診療に従事する内科医です。医師となって29年、途中、研究所での研究者としての生活、大学医学部附属病院での教官としての生活、米国留学、新薬の承認審査部門での審査官、内閣官房でのイノベーション戦略立案と様々な経験をしつつも、キャリアの半分は呼吸器内科医として、そして最近の10年は腫瘍内科医として、がん患者さんの診療は一貫して続けております。
研究者としては抗がん剤が効かなくなる機序解明と克服方法の開発の研究をしておりましたし、大学では肺癌診療の専門医の育成に関わり、留学中は抗がん剤の第T相試験(はじめて人間にクスリを投与する段階)の研鑽を致しました。米国留学から帰国直後、エイズ薬害事件を契機に発足した医薬品医療機器審査センター(以下、審査センター;当時は日本版FDAとも呼ばれていました)に、薬事行政なんて右も左もわからない中、医師の審査担当官の初代となって赴任した時期が人生最大の転機でした。上京しての転勤とほぼ同時期に脳梗塞後遺症の義母の面倒をみつつ設計事務所をやっていた30代の義姉を乳がんで失い、新しい仕事に加え、介護も手伝うという二足のわらじは、きついものでした。その経験が、「ドラッグ・ラグ解消と創薬立国を実現する」という自分の仕事の目標と「がん患者さんに寄り沿いながら、家族の皆も支える」という診療における基本姿勢を育てることに大きく貢献してくれたと思っています。
審査センター発足直後、いや今でもですが、新薬審査は役人が業界や大学医学部の大教授たちと癒着しつつ進めているという批判を耳にしますが、実際の新薬審査の現場を経験してみて、それは完全な誤解であると断言できます。審査官時代を含めて何度も海外の規制当局を訪問しましたが、英語での会話力を除いては、日本の審査官の能力は米国やEUと比べても格段に優れたものです。ここ数年で、ようやくEUの中央審査部門(EMAと呼ばれています)並の職員の数(700名弱)となりましたが、EUでは各国に、中央部門とは別に審査や薬の安全対策を担当する官庁があるので、創薬・育薬(iPS細胞などを用いる再生医療なども含め)を日本が世界をリードし、国民が世界で最新かつ最良の医療を享受するためにはもう一歩のマンパワーの強化が必要であることを皆さんには知って頂き、応援してもらいたいです。また、ドラッグ・ラグの苦しみを役人はわかっていないとの批判も聞きますが、審査センター時代の同僚や先輩、後輩、皆、自分ががんを罹患しこの世を去ったり、抗がん剤治療でがんと戦いながら新薬を渇望していたり、がん患者の家族として介護をしています。役所を敵とするのではなく、敵とか味方という概念を捨て、皆でスクラムを組んでがんという難敵に戦うという気持ちが大事だといつも思っています。
一方、がん診療をみてみると、留学時代に見た「経済的余裕の程度により受けることのできる医療が変わる」米国型医療の負の部分を皆でもっと認識しないといけないと感じます。米国の新薬審査部門のFDAという官庁が薬を承認しても、高額な価格とべらぼうに高い医療費あるいはそれを受けるのに必要な毎月の高い保険料のために、存在するクスリを自分に使えない(「インシュランス・ラグと米国の新聞記者さんは名付けています)状況を私は日本で再現したくありません。国民皆保険の維持に加え、患者、患者家族のみならず広く国民皆や製薬産業以外の企業も寄附をして国民基金を創設してインシュランス・ラグに備えることも解決策のひとつになると思っています。
さらに働き盛りの患者さんを日夜診療する中、仕事・就業とがんとの付き合いの両立が如何に難しいものかを日々実感させられます。さらに高齢化社会となり独居の方が増えている都会での在宅医療の困難さも感じます。「がんと共に歩める社会」を目指すには、診断・予防・治療の進歩に加え、さまざまな社会制度改革も必要です。医師vs患者、役人vs患者団体といった対立する構図を想定するのではなく、いつかは自分も罹患するであろうがんという疾患のみを見据えて、皆でこの難敵に立ち向かっていきましょう。
サンデロウスキーという米国の看護学者が、医療現場でのIT化の進行で、新しい種類の「手を出さない看護」をもたらしたと述べています。何という痛烈な言葉でしょう。
元々、医療や看護は“手当て”と言う言葉に象徴されるように、医師や看護師が自分の手を用いて、患者さんの身体にじかに触れることから始まったとも言えます。ところが、昨今の医療の高度化とともに、日本の病院の外来の診察室でも、医師が患者の顔よりもコンピュータの方に向きがちで、不具合を訴えても聴診や触診を全くされない場合が少なくありません。看護師もまた自分の三本指で脈拍を触知する方法など忘れたかのように、血圧計をぐるぐると巻き付け、ついでに脈の数も測ってしまっています。呼吸が苦しいと言えば、洗濯ばさみのようなサチュレーションモニターのデジタルな数字に頼って、苦しい訴えを退けるような風潮さえ見られます。
数百万年前、体重を支えていた前足を手に開放した人類の祖先以来、手は人間の生活のあらゆる基本であると言ってもよく、家事、育児、種々の創作をはじめ、あらゆる生活手段や無意識のしぐさの中にも手を用いてきました。竹内敏晴氏は、少年の頃、急性中耳炎で身じろぎしても痛む耳に苦しんでいた夜、そっと枕元に膝をついて熱の有無を確かめ、汗にぬれた肌を手早く拭いて寝間着を着替えさせてくれた母の手の記憶の中に、看護される体験の原点を見たと述べています。
そこで、看護にフォーカスを当てて見ますと、支え、抱き、抱え、握り、挟み、触れ、さすり、撫で、つかみ、揉むなどなど、看護師は実に多くの手を用いてきたことに気づきます。癒やし、鎮め、励まし、慰め、身体の向きを変えるなど、目的によって自由自在な看護師の手といえます。しかも、温度は一定でサーモスタット不要です。胸に手を触れれば、気道の分泌物の有無を知ることもできますし、手のひらを通して肌の湿潤や乾燥も観察可能です。また、心をこめて触れるだけで、支えや励ましのメッセージを送ることさえ可能なのです。限りなく進歩し機械化された医療のもとであるからこそ、惜しみなく手を用いたケアを実践すべきであろうと、昨年来、看護師の手の有用性の研究に取り組んで来ました。
折しも、大学院の修論発表会で、看護師の手のぬくもりが患者さんとの信頼関係を生み、語りを生み出す場になったばかりか、言葉に表現しきれない思いさえくみ取ることができたと、がんの終末期に行ったマッサージを通して患者さんと関わる意味を見いだしたことを語った学生がいました。緩和ケア病棟の看護師であった彼女は、病棟に戻ってからもきっとこの研究を根拠にしながら、患者さんによりそい、苦痛の緩和を目ざすケアの実践に精進してくれることと思いながら教室を後にしました。
2008年9月に直腸にがんが見つかり、10月2日直腸低位前方切除の手術を受けました。前もって竹中先生から、手術をするのは間違いないので身辺の整理をして待機しているように言われておりましたのと、ご紹介いただきましたドクターも、その姿、お声、診察のご様子等信頼に値する先生だと思い、躊躇することなく手術の日取りを決めました。その時は不安を感じたと言うよりは、むしろ「やった!」という、相反するものを感じたのを覚えております。持病の股関節の置換手術の時は、するかしないかでドクターの意見が二分してしまい、どちらが良いのか決められず、うつ病のようになってしまいましたが、今回の場合はすんなりと手術を受け入れることができました。私は右に行くべきかまたは左に行くべきか分からない時は、経験と知識の豊富な信頼できるドクターにお任せした方が良いように思います。また自分自身、身近な人のために決めてあげなければならない時もあると思っております。
「衆生(しゅうじょう)病むが故に我も病む」という語は、お釈迦さんが、病気になったと聞く“ウイマラ”という信者さんのもとへ、弟子たちを病気見舞いに行かせるという設定の、維摩経に出てきます。そのウイマラさんが、「世の中一切の生きとし生ける者がいまや病気で苦しんでいるので、自分もその苦しみの一端でも共に味わい一助ともなりたいがために病気になっているので、心配ご無用」と言ったという有名な言葉です。私はがんサポートコミュニティー(当時ジャパン・ウェルネス)の設立以来、一部の方々と坐禅をして参りましたが、坐り終わって皆さまのお話をお聞きしておりますと、いつも我が身に負い目を感じておりましたが、今は皆さまと同じレベルでお話ができると思って喜んでおります。
現在、二人に一人ががんを患い、三人に一人ががんで亡くなると言われ、がんはすべての人々に内在するもの、生命そのものの持つ現象とも言われ、各分野で研究がなされ本も書かれておりますが、それらは必ずしも心の安らぎを与えてくれるとは限らず、かえって我々を疲れさせ不安にさせる場合もあると思います。がんサポートコミュニティーは何も難しいことを言わず人と人との繋がりを通してお互いに癒し合う格好の場だと思います。仏教では聞思修(もんししゅう)と言って、人の言うことによく耳を傾け、よく考え、それを実行に移すという三つを尊重しますが、とくに人の言うことによく耳を傾けるというロジャース流のセラピーを重んじます。人の言うことをよく聞いてあげることができれば、それだけ自らの持つ心の抑圧からも解放され、自ら癒されることに最近気づきました。
今回、がんを患うことにより、ますますこの“聞”に磨きをかけたいと思っております。4月にでもなって、また暖かくなり、桜の花でも咲く頃、坐禅を始めたいと思っております。是非お出かけください。
私は創設以来、主に消化器系(胃・食道)のグループならびにご家族のグループのファシリテーターをさせていただいてまいりました。当然のことながら、お一人お一人の人生が異なり、価値観が異なるように、がんの症状もその捉え方もそれぞれかと思います。私たちファシリテーターは、そのような多様性のあるグループのなかで、それぞれの参加者が素直に語り合い、お互いに<癒しー癒される>関係になれるにはどのようにすればよいかということを考えお話を聞かせていただいております。
がんになると、身体的、心理的、社会的、そして実存的側面における全人的な喪失を体験するといわれます。そのような喪失体験は、自分や将来への不確実さを強めます。私は、このような喪失体験のなかでも、とりわけ、「(生きる)意味の喪失」(「なぜ自分か」「なぜ今か」「がん人生にどんな意味があるのか」)「関係性の喪失(孤独の問題)」(「誰が今の私を理解できるのか」、「患者でなければ理解してもらえない」)「アイデンティティの喪失(自由の問題)」(「今の私に何ができるのか」「がんに罹患した私とは一体何者か」)などの問いかけや思いは、生きる意欲と深く関わる重要な問題だと思っています。
人は一般に困難に直面しますと、そのことを「認めたくない」「何も考えないようにする」「負けない」「ただ前向きにがんばろう」と、その問題から回避したり、否認したり、心の奥に押し込もうとしたりすることが多いかと思います。しかし、いくらそうしても、例えば、就寝前や夜中目が覚めてふと将来への不安が意識に昇って眠れなくなったり、新聞に掲載された記事や広告の「がん」という言葉に過敏になり、急に不安が強まったりされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。心は、その問題があまりに重大だと意識的にコントロールすることが難しくなります。そのようなしまいきれない心の問題を回避や否認や抑圧するには多くのエネルギーを必要とするようです。
それでは、どのようにして少しでも心の安寧を取り戻し、その人らしさを回復することができるでしょうか。私はここでは三つのことをあげたいと思います。
一つは、正しい情報を得ることです。例えば、最新治療法、検査データの正しい知識、術後の回復過程、抗がん剤の副作用の理解、転移後の自分の辿ると予測される病態変化などがあげられます。そうすることで、現在の自分あるいは今後予想される自分の状態について理解が深まると少し安心かもしれません。
二つめは現実の問題に対して何とかなるとか、何とかやっていけるという感覚を取り戻すことです。術後直後しばらくの間は頭からがんのことが離れない事が多いので、本人も家族もがんについて考えない時間が必要です。瞑想や自律訓練法などのリラクセーション法、ウォーキングや軽い体操、コンサートに行くなど、自分でストレスを緩和させる方法を見出すことで少し自分に自信がもてるかと思います。
高齢化が進むことでの問題として、第一に支える社会体制の負担が大きくなっていく点がしばしば指摘されます。たしかに、負担の増大も課題ではありますが、医療の今後を考える上で意識しなければならない点は、高齢化の問題の現れ方が地方と都市部で違う点です。まず、地方では、高齢者人口の増加は多くとも30%程度に留まるのに対して、東京や大阪など大都市近郊では、70%から100%も急増する点です。特に、この傾向は東京近郊で著しく、医療の支援を受けながら地域で暮らす体制をどのように作るかが課題となります。このような支援を目的として提唱されているのが、地域包括ケアであり、その実現に向けて、地域ごとにどのように取り組むかが議論されつつあります。
当然、医療をどのように提供するかが大きな課題となりますが、医療とあわせて問題になるのが、支援体制をいかに地域につなげていくか、という点です。今、好事例として取り上げられる地域は、主に地方であり、その地ではもともとネットワークが密にあり、生活をお互いに支える文化があります。しかし、今後問題となる都市部においては、個人のプライバシーをお互い重視し、他人の目を気にしなくてもよい反面、たとえ近所であってもお互いの生活を知らず、生活に助けが必要となった場合に、助けを出すことが難しくなった面があります。また、助けを求めたいと思ったとしても、個別のニーズを強く持っていることもあります。単に近所の「世話焼きおばさん」がいればいいというわけにはいかない難しさがあります。
このような地域では、ニーズや情報を基盤とした新たなつながりが期待されています。これは情報やニーズに沿った支援、サポートグループの志向と一致します。がんサポートコミュニティーが目指す支援は、参加者個人個人のニーズに応じたコミュニティーの場を作るのみならず、必要な医療にもつながる場でもあり、新しい地域医療のネットワークとしての役割も担っています。
共有できる「場」として、「何かちょっとしたことでも」発信できる・受ける担い手として、サポートグループからの発信と展開に期待をしています。
近年、インターネットの発達によって、誰にでも簡単に医療情報を入手できるようになってきました。その一方で、大量にあふれる情報に翻弄され、うまく活用できてない人も多いのではないでしょうか。
そのような状況を踏まえ、国立がん研究センターでは、『がん情報サービス』を立ち上げ、科学的根拠に基づいて情報を整理し、現時点で明らかとなっている正確な情報を分かりやすく紹介しています。また、厚生労働省は、多くの患者さんが興味関心を持っている健康食品・サプリメントなどの補完代替療法についても、『「統合医療」に係る情報発信等推進事業』の一環として、『「統合医療」情報発信サイト』を立ち上げました(この事業には、私自身も関わらせて頂きました)。
いずれのサイトの情報も、重要視しているのは科学的根拠です。別の言い方をすれば、臨床試験などの研究結果から導かれた「裏付け」と理解していただければと思います。
ただ、これらのサイトの情報をみてみると、「?と考えられます」「?の可能性があります」などの曖昧な表現が多く、断定的な文章を見ることは余りありません。その一方で、「100%の治癒率」「絶対安全」などといった宣伝文句を見たり聞いたりしたことがある人もいるかもしれません。果たして、どちらの情報が、正確な説明の仕方なのでしょうか?
実は、医療情報というのは、なかなか白黒がはっきりとつけられるものではなく、ほとんどは灰色であるのが現実であることを是非知っておいて下さい。治療法を選択する際に、臨床試験で明らかとなった数字は、判断材料として重要な意味を持っています。しかし、医学・医療は万能ではありません。治療効果が100%で、副作用が0%という治療法は残念ながらありません。また、臨床試験の結果も、参加した患者さんの「集団」を対象とした値であって、個人にとって、効くか効かないかは、やってみなければわからないという悩ましい現実があります。
「できるだけ健康に良いことをしたい」「効果のある治療を受けたい」という思いは、多くの人々に共通の願いだと思います。そんなとき、誇大な宣伝文句に惑わされないための、情報を見極める目を身につけていただきたいと思います。
そして、情報を見極め、取捨選択し、それをもとに決断して行動することになります。決断は、「するか、しないか」ですから、白黒をつけなければなりません。ここで「灰色(の情報)から白黒(の決断・行動)へとジャンプする」ということになります。
医療では、すべての患者さんが同じ情報をもっていても、価値観によって選び方は異なってくることがあります。「なぜ生きたいのか?」「どう生きたいのか?」など個人個人の人生観や死生観によって、治療方針の決定(決断)は千差万別になります。残念ながら、医療情報に、「するか、しないか」といった答えはありません。あくまで患者さん自身が判断するための材料を提供してくれるだけです。
人生の判断をするための価値観。すぐに答えが見つかるわけではありません。また、正解があるわけでもありません。しかし、患者さん一人ひとりが、ご自身の体の責任者として、人生の意義や使命、希望について、一度、考えてみてはいかがでしょうか。
「看取り」という言葉は、日本独特の表現である。本来(「看取りまたは看病り」とも書く)病人のそばにいて、いろいろと世話をすることつまり看病を指す言葉であるが、現在では臨終に付き添うことを指すことが多く、病人を看取る=看病とは取られず、気をつけなくてはいけない。しかし看取りは平穏な死、もしくは「お迎えが来た」といったソフトな別れのイメージがある。「看取り」の今の定義は「無益な延命治療をせずに、自然の過程で死にゆく高齢者を見守るケアをすること」と言える。つまり、慢性疾患を有する高齢者の終末期、がん末期の終末期において、緩和ケアを実践するということを意味する。また施設での看取りと在宅看取りでは、看取りに対する考え方、看取り方にも違いがある。
簡潔に言うと施設医療は、外来、入院ともに「治療(Cure)」であり、我々医療者が「ホスト」として患者、家族を「ゲスト」として迎えることになる。在宅医療は、「家族と楽しく過ごすことを支えるケア(Care)」であり、患者、家族が「ホスト」である城に我々医療者が「ゲスト」として訪問することになるのである。
それを踏まえて「看取り」を考えると、医療機関(入院)での看取りは、患者、家族にとって、ホストである医療者によってアウェイのゲストハウスで医療(治療)として旅立ちを確認されることになる。在宅での看取りは、家族がホームである城で家族として旅立ちを見送ることになる。それぞれに先に示した利点欠点がありどちらが良いとは一概には言えない。しかし、最近話題の「平穏死」「自然死」ということを考えるには、医療機関施設での看取りは不向きであることは確かである。医療機関では医療者は、対一人を看るわけにはいかず、変化を把握し対応する目的で少なくとも心電図モニターなどバイタルサインモニターの装着、点滴、酸素などの医療処置が施されることが多くなる。最近終の棲家としての老人施設、介護施設特に特別養護老人ホーム、グループホームなどで看取りがされるようになってきているが、やはり住所は移していても家族のいるホームとは異なり、医療施設とまではいかないが、最後まで胃瘻注入、血圧測定などが行われているところが多い。
先に述べたように在宅での看取りは、家族によって看取られることであり自然な経過での旅立ちを送ることができる場でもある。在宅では施設と異なり、本人の意思を尊重し(意思確認可能時)、本人意思確認不可であれば本人の尊厳を家族と相談し、家族の希望をかなえることも可能である。そのためには、死をタブー視するのではなく、日常の事として受け入れられる死生観の変革も必要になる。そのためにも、みんなで普通に話し合える機会(場)を提供するがんサポートコミュニティーの役割は大きいと考える。
がんの診療ガイドラインと実際の治療
私が築地の国立がんセンター病院のレジデントとしてスタートしたのは昭和50年です。主に呼吸器領域の悪性腫瘍(原発性肺がん、多臓器がんからの転移性肺腫瘍、胸腺がん、悪性リンパ腫など)の画像診断・内科的治療・緩和的医療を担当しました。その後も現在まで、進行肺がん、乳がん、消化器がんなどの悪性腫瘍診療を専門としています。特に最近のがん薬物療法は急速に進歩して、肺がん・乳がん・消化器がんなどの診療ガイドラインは、書籍版の改訂が間にあわず、各専門学会のサイトや公的な薬剤添付文書などで最新情報を補完しています。しかし、診療ガイドラインはあくまでも初級教科書であり、個々の患者さんの診療方針となると、教科書応用編になるわけです。そこで、医療機関では多職種専門家による定期的なキャンサーボード(患者さん毎の方針会議)が必要になるわけです。
“免疫療法”と“免疫チェックポイント阻害薬”
近年、多くの難治性進行がんで、抑えられている「がん免疫」を正常な機能に戻すような薬剤が、予想以上に治療効果を示し、世界に衝撃が走りました。免疫チェックポイント阻害剤といわれる薬剤で各国が短期間のうちに承認し使用され始めました。日本では、2016年7月現在、ニボルマブが進行非小細胞肺癌、悪性黒色腫にすでに承認されています。たとえると、進行がんでは人体内にいる警官(がん免疫)をだまして、警官が泥棒(がん細胞)を見つけることができないような状況になっています。ニボルマブは、警官と泥棒とのやりとりの場で、泥棒の化けの皮を剥がして、警官が適切に仕事するような効果があります。
いままでの「免疫療法」は、警官をいわば強力な軍隊にすること(攻撃力の増強)を狙ったものでしたが、このチェックポイント療法は逆に敵の化けの皮を剥がし、警官が捕まえやすくするのです。
現在でも免疫チェックポイント阻害薬以外の「免疫療法」は標準的な治療法ではありません。ネットで容易に検索できる“民間で行われている「免疫力アップなどと言う免疫療法」”は信頼に足りる大規模臨床試験などもなく、効果と安全性を適正に評価できません。
免疫チェックポイント阻害薬が承認され、「免疫」という言葉を使った民間療法が、がぜん勢いづいて、新聞・雑誌広告やネットに沢山出まわるようになりました。民間免疫療法の簡単な見分け方として、動物実験や少数の患者さんの印象記などしかない治療法か、治療法の経費の決め方、自分たちだけしか行っていない治療法か、抗癌薬などを併用しどれの効果かわかるのか、などをチェックしてください。
私は、大学病院で大腸がんに対する内視鏡診療および抗がん剤治療を専門として診療を行っています。これまで大腸がんの患者さんを2000名以上診療してきましたが、日本全体の大腸がん死亡は増加している現状に対して病院の中で診療しているだけではダメだと思い立ち、マラソンを通じてのがん検診をよびかける活動を三年前から初めました。「大腸がん検診を受けましょう!」というメッセージを書いたTシャツを着て全国のマラソンを走る些細な活動ですが、これを見た人がすこしでも検診を受診していただけたらと思っています。そして2016年の大阪マラソンではチャリティーランナーとしてがんサポートコミュニティーに寄付させてもらい大腸がん検診を沿道の方々に伝えながら2時間59分44秒で駆け抜けることができました。
【大腸がんの現状】大腸がんは、2015年のがん統計では約13万人が罹患し、日本人が最も罹患しやすいがんとなっています。死亡数も年間5万人を超え肺がんに次いで2位となり早急な対策が望まれています。大腸がんは40歳から年々その罹患数が増加することが知られており、典型的な症状は、便秘、腹痛、および血便ですが、早期の段階ではほぼ無症状です。早期のがんは90%以上が治癒しますが、進行したがんでは治癒が望めないことも少なくはありません。ですので大腸がんの死亡数の低下には早期発見・早期治療が重要です。そのためには症状のない段階でのがん検診の受診が大切です。しかし日本は先進諸国の中ではもっとも大腸がんによる死亡率が高い国になります。その原因の一つとして後述する検診受診率の低さが挙げられます。症状が発生してからの受診では治癒が見込めない進んだ状態でがんが見つかることも少なくはないのです。
【大腸がん検診】大腸がん検診は便中のわずかな血液を検出する便潜血検査が行われており、40歳以上で毎年の受診が推奨されています。約6%の方が陽性となり陽性の方は、精密検査として大腸内視鏡検査が必要となります。しかし、腸炎や痔でも陽性となることがあり、実際には約3%の方に大腸がんが見つかります。それでも検診陰性の方よりは何十倍もがんである可能性が高いので陽性となったら大腸内視鏡検査を必ず受けるようにしてください。便潜血検査は進行がんの方では90%程度陽性と判定されますが、早期がんでは60%程度にとどまります。ですから一回の検診では陰性となってしまうがんも存在しますので検診は必ず毎年受けることが重要です。しかし、日本において大腸がん検診受診率はわずか30%です。韓国では50%、米国では内視鏡検診を導入し60%を達成しておりさらなる検診の普及が望まれます。
【精密検査としての大腸内視鏡検査】大腸内視鏡検査は、お尻から1センチ強の長いスコープを入れて大腸を調べる20分くらいの検査です。強い痛みは10人に1人くらいに起きますが、細いカメラを使ったり、ベテラン内視鏡医がカメラの扱いを工夫することでずいぶん軽減できますし、希望があれば麻酔をしながら行うことも可能です。検査当日はたくさんの液体の洗腸剤を飲まなければいけませんが、最近は新しい製剤が登場し1リットルの洗腸剤で検査ができ味も以前に比べてずいぶんよくなりました。そして腫瘍の見え方を強調させる特殊なレーザー内視鏡(FUJIFILM)なども併用しより小さいがんの発見が可能となっています。さらに高度な内視鏡治療である内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)を用いれば五センチにいたる早期がんであっても小型の電気メスを用いて切除することも可能です。これまで10年間で1000名以上のESDを行ってきましたが早期のがんであれば外科切除をせず体に負担の少ない内視鏡治療で多くの方が治癒されています。
最後になりましたが、種々のがんによる死亡数を減らすためにがんのことをより多くの方に知っていただく活動を無償で続けられているがんサポートコミュニティーの活動に敬意を表します。
がんの診療ガイドラインと実際の治療
私が築地の国立がんセンター病院のレジデントとしてスタートしたのは昭和50年です。主に呼吸器領域の悪性腫瘍(原発性肺がん、多臓器がんからの転移性肺腫瘍、胸腺がん、悪性リンパ腫など)の画像診断・内科的治療・緩和的医療を担当しました。その後も現在まで、進行肺がん、乳がん、消化器がんなどの悪性腫瘍診療を専門としています。特に最近のがん薬物療法は急速に進歩して、肺がん・乳がん・消化器がんなどの診療ガイドラインは、書籍版の改訂が間にあわず、各専門学会のサイトや公的な薬剤添付文書などで最新情報を補完しています。しかし、診療ガイドラインはあくまでも初級教科書であり、個々の患者さんの診療方針となると、教科書応用編になるわけです。そこで、医療機関では多職種専門家による定期的なキャンサーボード(患者さん毎の方針会議)が必要になるわけです。
“免疫療法”と“免疫チェックポイント阻害薬”
近年、多くの難治性進行がんで、抑えられている「がん免疫」を正常な機能に戻すような薬剤が、予想以上に治療効果を示し、世界に衝撃が走りました。免疫チェックポイント阻害剤といわれる薬剤で各国が短期間のうちに承認し使用され始めました。日本では、2016年7月現在、ニボルマブが進行非小細胞肺癌、悪性黒色腫にすでに承認されています。たとえると、進行がんでは人体内にいる警官(がん免疫)をだまして、警官が泥棒(がん細胞)を見つけることができないような状況になっています。ニボルマブは、警官と泥棒とのやりとりの場で、泥棒の化けの皮を剥がして、警官が適切に仕事するような効果があります。
いままでの「免疫療法」は、警官をいわば強力な軍隊にすること(攻撃力の増強)を狙ったものでしたが、このチェックポイント療法は逆に敵の化けの皮を剥がし、警官が捕まえやすくするのです。
現在でも免疫チェックポイント阻害薬以外の「免疫療法」は標準的な治療法ではありません。ネットで容易に検索できる“民間で行われている「免疫力アップなどと言う免疫療法」”は信頼に足りる大規模臨床試験などもなく、効果と安全性を適正に評価できません。
免疫チェックポイント阻害薬が承認され、「免疫」という言葉を使った民間療法が、がぜん勢いづいて、新聞・雑誌広告やネットに沢山出まわるようになりました。民間免疫療法の簡単な見分け方として、動物実験や少数の患者さんの印象記などしかない治療法か、治療法の経費の決め方、自分たちだけしか行っていない治療法か、抗癌薬などを併用しどれの効果かわかるのか、などをチェックしてください。
私の叔父である竹中文良が、ジャパン・ウェルネスを立ち上げて、早17年が経ちます。先日、ジャパン・ウェルネスから発展されたがんサポートコミュニティーの大井さんからご連絡をいただき、認定NPO法人になられたことや大阪にも活動を拡げられているのを知り、感慨深いもの感じております。
私自身は、現在大阪国際がんセンター(旧大阪府立成人病センター)で、副院長・臨床研究センター長として、臨床研究のサポートを行うとともに、肝胆膵内科の一員としての診療にも従事しております。
私が主に診療しております肝臓がんの診療レベルは、この30年ほどでかなり良くなっています。その原因の一つは、肝臓がんの原因の大半がわかっており(ウイルス肝炎が約70%)、ウイルス肝炎の患者さん達を丁寧に経過観察することで、肝臓がんを早期発見できる体制が整ってきたことにあります。それ以外にも、肝炎ウイルス治療の画期的な進歩や肝臓がん診断方法や治療方法そのものの改善も大事な役割を果たしています。ここ数年でいくつか登場してきたC型肝炎に対する飲み薬の抗ウイルス剤は、それまで苦労していたC型肝炎ウイルス排除を100%近い確率で、しかも3か月程度服薬するだけで達成され、まさに画期的な新薬の登場となりました。また最近は、がん細胞の特徴を明らかにし、そこからがん細胞の弱点を見つけて治療するといった新しい薬剤(分子標的治療薬や免疫チェックポイント阻害剤など)が次々に開発されています。最近の医学はこのように絶え間なく進歩しているものの、がんに対する治療成績については、いまだ不確実な面が多い(同じ治療をしても著効する人もいれば、全く効かない人もいる)のが現状です。これに対し、がん組織の遺伝子を解析することで、がん細胞をやっつける治療効率を上げようとする診療(がんゲノム医療)が始まろうとしていますが、現段階では不確実性を完全に排除しきれるレベルではありません。
こういう状況において、患者さんたちが医療を受ける際、いかに納得・承諾して受けられるかが重要と考えています。それには、十分で正確な情報が必要であることは言うまでもありませんが、精神的な拠り所のようなものも、非常に重要と考えています。ジャパン・ウェルネスが発足して間もない頃、一度竹中の叔父に頼んで、見学をさせていただいたことがあります。その時、セカンドオピニオンとサポートグループに参加させていただきました。セカンドオピニオンは、かかっている主治医とは違った立場の医師から、情報を提供するというものですが、サポートグループは、患者さん同士の情報交換の場ということになります。このグループワークは、医療者の立場では提供できない情報+αを患者さんたちに提供できていると感じたことを覚えています。体験者だからこそ伝えられる情報や心情といったものではないかと考えています。その後、なにかの折に、叔父から「ウェルネスの経験者は、他の病院へ行った際に、肝が据わっているって言われるんだ」という言葉を聞いたことがあります。その言葉から、ジャパン・ウェルネスは、今の医療の手の届いていない部分をサポートしているんだと感じたものです。当時、自分の病院で「肝臓病教室」という患者さん向けの情報提供の会を定期的に開催していたのですが、その後この教室にグループワークを取り入れた次第です。
最近の医学・医療の進歩は、目を見張るものがありますが、ともすれば、特に我々医療者は“人間らしさ”を忘れがちになっているように感じています。がんサポートコミュニティーの活動は、医療の進歩を取り入れつつ、“人間らしい医療”を支えるしくみだと考えていますので、ますますの発展を期待しています。もちろん私もできる限り応援させていただければと考えています。
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