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がんと共に生きる

Living with Cancer

体験者の声

あなたはとりではありません。仲間の声にを傾けてください。

がんは百人百様です。がんと向き合うひとはさまざまな体験をそれぞれに乗り越えています。その体験を知ることで、治療選択や暮らしのヒント、生きる希望を見出せます。

Voice 07

今を生きる

K・T(50歳代女性/上行結腸がん)

私にとってのキャンサーギフトは、がんにならなかったら出会えなかった人との出会いにあります。
それは、看護専門学校の教員として卒業式を終えた数日後、2017年3月7日の朝、排便後に見られた、ほんの少しの出血から始まりました。
翌週の健康診断での便潜血反応がマイナスで少し安心したものの、腹部の不快感もあり大腸内視鏡検査を受けがん患者としての苦悩の日々が始まりました。
息子と必死に病院を探し、4月18日に手術を受け、ステージIIIbで抗がん剤治療を受けることになりましたが、あまりの副作用に1回で挫折。術後半年の検査で腹膜転移と診断され延命目的の抗がん剤治療となると説明を受けました。息子が手配してくれた三重や滋賀にセカンドオピニオンの旅にでかけ手術を勧められましたが、多数の臓器を摘出しての開腹手術に耐える勇気もなく、卒業生の紹介で地元の病院での抗がん剤治療が始まりました。
私は、看護師でありながら、がん=死に行く人であり可哀想で仕方ありませんでした。しかしがんサポートコミュニティーの様々なプログラムに参加し、その考えが間違いだったことに気付きました。
ヨーガでは、リラックスしながら身体をほぐすことだけでなく、抗がん剤治療で何もできない日は、次の行動に向けての充電期間だということや、「今、ここに戻る」ということを教えていただきました。過去の後悔や未来への不安に気持ちが沈みがちでしたが、今に戻ることで気持ちが落ち着くことを学びました。
再発転移はとてもショックでしたが、この機会に新しい挑戦をしようと、合唱団いきのちからに参加し合唱を始めました。先日、コンサートがありステージに立たせていただきました。尊敬できる先生のもと、仲間たちと声を合わせることの楽しさや、お客様からの温かい拍手をいただいての感動は、病気を忘れさせてくれるだけでなく生きる力となりました。
抗がん剤の副作用で色素沈着が日に日に増し、治療が憂鬱になっていたころ資生堂のビューティーケアセミナーに参加させていただきました。化粧品を使って綺麗に隠すことができることを優しく教えていただき、気持ちが明るくなり抗がん剤を飲むことに前向きになれました。これらのプログラムは、非日常的な空間や時間を過ごすことでがん患者でありながらも今を楽しく生きることを実感し、精神的に大きな支えとなり抗がん剤治療は延命のためではなく今を生きるための治療なのだと闘病意欲が向上しました。
信頼できる医師、看護師、鍼灸師を繋いでくれた教え子たち。頼りになる家族、がんサポートコミュニティーのスタッフの皆さん、メーキャップを教えてくださった資生堂のスタッフさん、ヨーガ、合唱の先生方、そしてなによりがんサポートコミュニティーを通じて出会えた仲間たちは、まさにキャンサーギフトであり病気は悪いことばかりじゃないと感じています。無難な人生には難がありませんが、有難い人生には難があります。出会えた方々に感謝しながら有難い人生を生きられることは幸せなことです。
私にとってのがんサポートコミュニティーは、がんという重い荷物を軽くしてくれる存在です。
これからも、今を生きることをサポートしていただきたいと思っています。

がんサポ通信・第36号(2019春)掲載

事務局からのコメント

GIFT(ギフト)とPRESENT(プレゼント)、どちらも同じように『贈り物』という意味ですが、GIFT(ギフト)には「天性の才能、特別な能力」と言った意味もあります。誰しもがんを望みはしないでしょうが、時にその人の特別な能力を引き出すということからPRESENT(プレゼント)ではなくGIFT(ギフト)を使うのでしょうね。

Voice 06

がんは人を変える

Y・T(60歳代男性/直腸がん)

この標題は、がんサポートコミュニティー創設者の故竹中文良先生が、仰った言葉です。私は、この言葉通り、変わりました。
私がステージIIIbの直腸がんの手術を受け、3か月後に、肝臓の転移が見つかり、真っ暗闇の状況で、藁をつかみたい気持ちで、2008年2月に、この会に入りました。初めて、大腸グループに出席をした時に、何を話したかは、覚えていませんが、その時に参加されていたメンバーの方に「退院したら、また来なさい」と、温かく勇気づけられたのを記憶しています。
主治医からは、「肺と肝臓には転移しやすいので、とにかく、体力だけはつけておいて、手術に耐えられるようにしなさい」というのが、アドバイスでした。手術前には、色々と考えました。病室で録音したアンドルー・ワイル氏の言葉「私の体は、病気をすることによって、将来もっと健康になるということを学んでいる」を何度も聞きました。結果として、手術後、主治医から「肝臓の組織を検査したのだが、がんではなかった」と思いの外の結果を得ました。
あれから、もう10年経ちました。私のバイブルとなっているがんに罹った精神科医シュレベール著『がんに効く生活』に基づいて、私は手術後の生き方を変えてみました。まず食事を変えました。今でも朝早く起き、野菜たっぷりの味噌汁を作っています。時間があれば万歩計をつけてとにかく歩く、多い時は2万歩も。そして、何より、同氏がいう「成功の鍵は、昨日までの自分を変えること」というのを実践しました。一方、仕事への挑戦をいきがいとして、毎日を精一杯生きるよう心掛けました。そして、それは、岸本英夫著書『死をみつめる心』の中で、「癌のおかげで、本当の生活ができるのだという感じがするのである」とありますが、私も、そう思います、幸いながら、私は、がんの手術をして、10年も生きており、言葉を変えると、まだ、何かしろと生かされていると思っております。大学の恩師が「人生は、禍福は糾える縄の如し、精一杯生きろ」と言われました。
その言葉通り、一生懸命、生きようと思っております。

がんサポ通信・第35号(2018夏)掲載

事務局からのコメント

社会は人間によってつくり出された環境ですが、人間はその社会のなかで生かされている存在でもあります。生かされていることに感謝する姿、また生きようとする姿は素敵です。

Voice 05

術後11年

M・A(70歳代男性/直腸がん)

2008年『ジャパンウェルネス通信』(現在の『がんサポ通信』)春号にIIIaの直腸がん術後1年の私心を書かせていただいて10年が経過した。
術後医師からUFTユーゼルを処方されたが、がんに罹患する以前よりすでに体重は16キロ減少していた身で、食事が一切摂れなくなり服用を断念した。
医師より5年生存率65%と告げられ、それからは、再発・転移なしに先ず前方5年に立ちはだかるハードルを越えるには、其処までの道程をどう歩んで行けば良いのか、暗澹たる気持ちの模索の日々が始まった。
先の私心でも述べたように、腸の異常を感じながらがんの罹患をわが身に置き換えて考えなかった無知識を猛省し、その後はサポートグループ、フォーラムへの参加、書籍類の読破、ネットの閲覧を通して私なりにがんに関する情報収集に努めた。
そのような折、ある医師が指摘していた、がん腫が作られる大もとの原因は血液の汚れであって、がんを治療するということは、がんの正体である血の汚れを解消することである。そのためには、精神療法(心の持ち方を変え、がんの栄養になるストレスを軽減する)、食事療法(過食という量的なこと、何を食べるかという質的な食べ物の摂り方を正す)、理学療法(運動、体操で体に物理的な刺激を与える)等を実践することという指針に触れ、思い当たるふし大であった。
自身の来し方を振り返っても、会社経営時のストレス、「病(やまい)垂(だれ)に品物の山」の“癌”の字その侭に、何でも過食、運動は皆無で5分程度の所でも車で行くという全てが、がんへの道であった。
その後は日常生活でのストレス軽減に努め、食事も朝は果物、人参ジュース、昼は蕎麦と小食にし、運動もジム通い、ウォーキング等を実行し今に至っている。
しかしここ数年は加齢と共に日々の排泄に長時間を費やし、精神面に負担がかかるようになり、自律訓練法のクラスにも参加させていただき心身の癒しを頂いている。
今後は“無知は罪悪”を心に留め、引き続きサポートグループで学ばせいただきながら終焉に向かって、長く生きるかではなくどう生きるか、人生の後悔がないよう過ごして行きたいと思っている。

がんサポ通信・第34号(2018春)掲載

事務局からのコメント

2016年1月、国立がん研究センターは初めて10年生存率のデータを発表しました。これまでは5年生存率しか出ていませんでした。術後11年を迎えられたとのこと、まさにM・Aさんのがんを体験されてからの生き方そのものが英知の宝庫だと思います。

Voice 04

がんと共に私らしく

K・O(50歳代女性/S状結腸がん)

東京の街が今年も桜色で染まる頃、私はがんサバイバー5年生になりました。
思い起こせば2013年4月。軽い気持ちで受けた初めての大腸内視鏡検査から腸閉塞になり、夜間救急で病院に運ばれ、「大きな腫瘍が腸を塞いでいます。おそらく悪性でしょう。」と告げられた時から突然始まった私のがんサバイバー人生。
病室の窓から見える通勤電車に、自分が乗っていないことが理解できず、「悪い夢でも見ているのかな?明日の朝になれば、元の健康な私に戻っているかもしれない。」と何度も思いました。でもそのかすかな望みは、術後初めてのシャワーでお腹にくっきりと残る大きな傷跡を見た時絶たれてしまいました。
がんサバイバー新入生の私が背負ったランドセルはあまりに重くてただただ悲しくて…。退院後は頭の中にステージIIIbという言葉がぐるぐる回り、この先どこをどうやって歩いていけばいいのか途方に暮れるばかりでした。「がん」というニ文字を見るのも恐ろしく、テレビや新聞も全く見ることができなくなってしまいました。
夏までは何も手につかず、自分だけが違う世界に生きているような深い喪失感と、心配ばかりかけている申し訳なさと、身体のサインを見過ごしていた後悔の中で生活していた気がします。
退院後4か月ほど経ってから、心配をかけてしまった家族のために、何とか元気にならなくてはと思えるようになり、少しずつ自分の心と身体の回復に向けて良さそうなことを始めていきました。
ヨガ、食事療法、ガーデニング、パワースポット巡り、ひとりカラオケ。
今では私の生活になくてはならないものになっている趣味や習慣が、その後ニ度の転移(そのうち一つは奇跡的に消えましたが)と再手術、約2年間の抗がん剤治療、という一番辛かった時期を支えてくれました。また家族や友人、主治医の先生、病院のスタッフの方は、時に恐怖や不安でうずくまりそうになってしまう私にいつも手を差し伸べて、光のある方へと導いてくれました。
がんサポートコミュニティーへの参加は、ニ度目の手術を終えた2014年の秋でした。
私が参加させていただいている大腸のサポートグループは、2名のファシリテーターの方のもと、とても温かく和やかな雰囲気の中で安心してがんを語ることができます。
がんという体験を通して、リアルに死を感じた皆さんのお話は真っ直ぐで優しく、生きる意味を学ぶような深さを感じます。また私と同じステージだった方が、仕事や趣味に打ち込んでいらっしゃる姿は何より心強く、いつか私もこうなりたい!という目標を持つことができました。おかげさまで2016年の1月には仕事にも復帰することができ、がんになる前の生活を取り戻しつつあります。
現在も経過観察中なので、がんサバイバーという名のランドセルはまだ背負っています。でもこの姿で歩き、生きていくことが私の人生なのだと思えるようになりました。
「いつかこのランドセルが、お腹の傷と共に自分の誇りになるように、そして今度は私が誰かに光を届けられる人になりますように!」
がんになって迎えた5回目の七夕にそう願った私です。

がんサポ通信・第33号(2017夏)掲載

事務局からのコメント

小学校1年生、2年生にとって大きなランドセルは負担になってしまうことも…。重い荷物でもランドセルの背負い心地がよければ軽く感じることができます。サポートグループの参加が少しでも背負い心地の良さに寄与できればと願っています。

Voice 03

あるがままに生きる

K・I(70歳代女性/S状結腸がん・直腸がん)

「あっ、がんですね」「えっ?どこに…」
2010年9月、初めて受けた内視鏡検査中の会話です。
余りのことに返す言葉もありませんでした。
外科の先生を大声で呼びに行く看護師さんの声が耳に残ります。
「S状結腸がんで緊急を要すから、早く手術しましょう」
ちょうどわが家は引越し準備の真っ最中で、取り敢えず新居へ荷物の搬入、整理のために、1週間手術を延ばしていただきました。
がんはリンパ節に転移していたためステージIIIaで、抗がん剤はUFTユーゼル。3コース目で肝機能障害が起き中止になりました。
不安は広がるばかり…家族の励ましも虚しく感じ気持ちを立て直すのに多くの時間を費やしたと思います。
1年経過した頃、新聞で「あなたが選ぶがん治療―がんとの上手な付きあい方」とのテーマで講演会が砂防会館であることを知り飛びつきました。がんについて知らないから恐怖を感じるのかもしれない、正しい理解のために積極的に情報を取り入れたい、と即申込み!講演は国立がん研究センター中央病院乳腺・腫瘍内科長の藤原康弘先生の化学療法の話、エッセイストの岸本葉子さんと元国立がんセンター名誉総長の垣添忠生先生の体験談で大変有意義な話ばかりで何年経ってもがんは転移するものと悟りました。
2014年9月に腫瘍マーカーが急に上がりだし、検査結果は直腸がんでした。
「新たながんで子宮と卵巣に転移し腹膜に浸潤している。播種があったのでステージはIV、50%の確率で早ければ半年で転移する可能性があるがずっと転移しないかもしれない。要するにわからない!」
家族と共に術後の説明を受けましたが、その声は虚しく聞こえました。
再び抗がん剤を勧められましたが私は拒否。娘ががん研有明病院のセカンドオピニオンを受けたいと申し出、先生も快く承諾し書類を整えてくれました。
がん研有明病院で「今なら間に合う。フォルフォックスという良く効く抗がん剤がある」と励まされ、早速始めました。しかし、80%の薬でも白血球の減少と肝機能障害に苛まれ、5コース目で全身に赤い発疹が出てストップとなりました。
再びセカンドオピニオンをお願いし、がん研有明病院で相談したところ「これ以上は無理。アナフィラキシーショックになる。抗がん剤は中止にしなさい」と。
あれほど拒否していた抗がん剤だったのに、いざできなくなると心細く不安になりました。
がんに関する本も沢山読みましたが安心感は湧かず、砂防会館での専門医や体験者のお話の方が、私にとっては心に沁み込んだと感じ、2015年9月にその講演会を主催したがんサポートコミュニティー(がんサポ)に入会しました。
今までやっていた食事療法や水素水、サプリメント、酵素等から離れ、次に備えて体力をつけることにしました。抗がん剤から解放され、身体が軽くなり自信がついてきたようです。
がんサポのサポートグループに参加し、心温かい皆さんのお話を聞かせていただき、心身共に満たされ休まってまいりました。二度目のがんから3年経ち、油断はできませんが心強い仲間ができたことが私にとって最大の喜びです。

がんサポ通信・第32号(2017春)掲載

事務局からのコメント

アメリカの思想家で詩人のラルフ・ワルド・エマーソンは「恐怖はつねに無知から生じる」と幸せのヒントを語っています。正しい情報を得て、必要以上に恐れないように、あまり悪い想像をしないように心がけることが大事かもしれませんね。

Voice 02

がんは気づきのサイン

I・F(50歳代女性/盲腸がん)

札幌で暮らしていた2013年7月、健康診断で受けた便潜血検査が陽性になり、初めて大腸内視鏡を受けました。「ポリープがあるのかな?」とモニターを見ていると、先生が「ここ一番奥の盲腸の部分ですが…組織を採って調べますね…」と。この目で見た普通ではない細胞。「がんだ!」と確信しました。手術前の説明で大きさは2センチ、ステージはIIで「この大きさで見つかって良かったですね」との先生の言葉に少しホッとして開腹手術を受けましたが、病理検査でステージIIIbとわかり再発率の低くない現実を突きつけられました。
がんと診断された時よりショックは大きく周りが色のない世界に変わり再発の不安や死の恐怖が襲ってくる日々。「命とは?生きるとは?病とは?」と自分に問いかけ答えを求めました。
《燦々と太陽の輝く穏やかな日々には人生の教訓は身に沁みません。魂が目を覚ましそれまで気づかなかった自分の可能性を知るのは時として暗雲垂れ込める暗い日や嵐の吹きまくる厳しい日でなければならないのです。『シルバーバーチの霊訓(一)』》
この本を手にし、何か大きなものに包まれる安心感で涙が溢れ、人生の目的は魂の成長と知り、この状況は学ぶためにあると気づかされました。
翌年2014年の春、抗がん剤の補助療法が終わるとすぐに、もうないと思っていた夫の転勤が決まり、東京での生活がスタートしました。慌しさが落ち着くと、同じ病気の人と話がしたいという思いが強くなり、ネットで探し、がんサポートコミュニティーに入会したのがこの年の秋のことです。
迎えていただいたスタッフの方々の笑顔にホッコリし、ファシリテーターのお二人が話しやすい場づくりをしてくださることにいつも感謝しています。大腸サポートグループでは、お互いの話に関心を寄せる温かな目と時々笑いが起きる和やかなムードがあり、体験や近況を語り合える仲間がいることが本当に有難く、参考になる情報や知恵をいただいています。
順調に経過してくると油断も出たのか、昨夏、腸閉塞になり緊急入院。幸い絶飲食と点滴で回復しましたが、一生リスクがあることを知り、「何事もゆとりを持って八分目」をモットーにしています。
これまで大病をしたことのない私は「万事が当たり前」と傲慢になっていました。がんになり苦しい思いをしたことで健康の悦び、人の優しさが心の深いところに届きました。目には見えないけど大切なものに気づけたことは、魂の成長に繋がるのかもしれません。

がんサポ通信・第31号(2016夏)掲載

事務局からのコメント

『シルバーバーチの霊訓』に「人間は小さな窓がたった5つ(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)しかついていない“牢”の中で暮らしているようなものです。」といったくだりがあったと記憶しています。がんは自らの身体での出来事でありながら私たちは診断されるまで気づかずに過ごしていますよね。まさにがんはサインだったのかもしれませんね。

Voice 01

がんを厭わず、がんと連れ添う

K・T(70歳代男性/S状結腸がん)

2016年1月、がん患者として三度目の新年を心静かに迎えることができました。2013年6月に大腸S状結腸開腹切除手術、その後6か月の抗がん剤服用。手術そのものは痛みや苦しみもなく退院したものの、術後補助化学療法の抗がん剤服用開始2週間頃から倦怠感・食欲不振にはじまり口内炎・突然の鼻血・手のひらや足の裏に水泡発生など次々と身体の変調が始まりました。身体の状態や辛さを主治医に伝え、主治医も私の状況を見ながら抗がん剤の量を減らしたり、種類を替えたりしましたが体調が戻る兆しを全くみることができませんでした。この当時は多くのがん患者同様、がん情報のネット収集、がん関連書籍の濫読、民間療法施設の訪問を行い、体調が思わしくない時に体に鞭打ち何かに憑かれたかのように何かを探し回っていました。ジッとしていると何かに襲われるような不安と怯え、まさに焦りの日々の繰り返しでした。
私は抗がん剤服用5か月して即時停止を主治医との週1回の診察時に訴えましたが、主治医から「今すぐにやめて経過観察にすることも一つの方法ですが、ここまで頑張ってきたのだからあと1か月続けて結果を見ましょう」とのお話がありましたが、抗がん剤服用を6ヶ月で打ち切り経過観察に入りました。
抗がん剤服用期間は体調が思わしくなく辛い毎日でしたが、主治医には週1回会ったうえ診察を受けて治療方針への質問や不安解消、愚痴を聞いていただいていました。経過観察になったとたん診察は月1回で主治医と話す(聞いていただく)機会が極端に少なくなりました。「困ったことがあったらいつでも来てくださいね」と言われても具体的に悪い症状がないままに診察するほど主治医が暇ではないことは6か月の抗がん剤治療中に理解できました。幸い抗がん剤の副作用も徐々に抜けだして体調は回復傾向にありましたが、「この先どうなるのか」、ちょっと熱が出れば「再発か?転移か?」と一人で思い煩う日々でした。「もう何をしても意味がない」と思わず叫びたくなるような不安に圧し潰れそうな日もありました。
医療はいのちを延ばすことを扱いますが、そのいのちをどう生きるかということはまったく別の問題だったことに気付かされました。身体の痛みを止めるのに医師が必要であるのと同じように「いのちの苦」(生きる意味の喪失や死後への不安)に取り組む専門家が必要ではないでしょうか。この様な時にネットで知ったのが「がんサポートコミュニティー」でした。
「説明会」「短期サポートグループ」を経て、「大腸グループ」に入れていただいて1年余りが経過しました。グループに所属されている社会人の先輩、がん患者の先輩の方々の体験談やがんへの取り組み姿勢、生きざまを伺う機会に恵まれお一人お一人の前向きな生き方から出てくる素晴らしいお言葉が心に沁み入ってきました。
・がんになったらがんと友達になればいい
・病気よりも「生き方」が問題
・治らないものが治ることは絶対にない。治るものは治るし治らないものは治らない。治らない病気とは上手に付き合っていくしかない。
・がん治療のために生きるのではなく、がんのまま人生をしっかりと生きる
このグループに参加させていただくまで私は「がんと闘う」「がんに負けない」と力みかえっていたことを教えられました。毎日緊張の連続で肩に力が入り過ぎていたようです。これでは心も身も続きません。そこで一息入れる大切さに気付きました。「息抜く力」が「生き抜く力」を生み出しているようです。ここに参加することは私にとって「うまく生きる」ことには役立ちそうもありませんが、「よく生きる」ためには欠かせないものになってきました。今の私にとってがん治療の目的は「完治」ではなく「元気に長生きすること」であり、普通に生活できる状態を続けることです。「身体は病気でも、心は健康であり続けたい」これが古希を過ぎた私の切なる願いです。

がんサポ通信・第30号(2016春)掲載

事務局からのコメント

緩和ケアでは患者さんの苦痛(pain)に対して医師の治療や処方(doing)が不可欠で、苦悩(suffering)にも寄り添う(being)ことが求められています。しかし、患者さんとしては医師に寄り添ってもらいたいと思ってもその多忙さゆえ気兼ねもありますよね。そんなときは気兼ねなくがんサポートコミュニティーに珈琲を飲みにいらしてくださいね。

Voice 04

仲間との出会いに感謝

S・O(50歳代女性/肺がん)

2018年の年が明けてから、風邪・インフルエンザと病気ばかりの日々でした。近所のかかりつけ医に、いつもと違う変な咳が出ると伝えると「レントゲンを撮ってみましょう」とのこと、毎年受けている人間ドックでは、「肺は問題ありません」と言われていたこともあり楽観的に考えていました。しかし、何度かレントゲンの後「大きな病院を紹介します」との言葉に、初めて事の重大さを感じました。病院で、CTを撮り確定診断のため入院をして生検をして肺がんと診断され、早々に手術日が決まり、5月に左肺上葉切除(扁平上皮癌)となりました。がんを切除して直後は、傷の痛みと肋間神経痛に悩まされ、手術前より多くなった空咳、歩くのにも息が苦しく、休憩しながら歩き、水を飲んで咳を止める日々でした。そして、非喫煙者である私が喫煙歴の人に多いと言われるがんになったことにひどく落ち込みました。そんな中、ネットで「がんサポートコミュニティー」のことを知りました。
地方に住む私は主人と一緒に、がんサポートコミュニティーを訪れて、丁寧な説明を受けて入会をさせていただくことになりました。その後、短期サポートグループの参加を勧めるお手紙をいただき、不安を感じながらも参加を決めました。初めてのサポートグループでは、最初に一人ひとりが自己紹介をしました。私は自分でも不思議なくらいに、話をしているうちに胸に詰まっていたものが、一気に吐き出されていくことがわかりました。そして、いろんな部位のがんで頑張っている人たちの声を聴いているうちに、今まで孤独感を感じていた私ががんというつながりで仲間を得ることができました。
「大丈夫」を合言葉に、これから転移や再発ということがあっても知識や情報をたくさん持っている仲間に相談できると思うと心強く思います。サポートグループの出会いに感謝です。これからは、いろんなプログラムにも参加して、私にどんなことができるかを模索しながら、勉強していきたいと考えています。これからもよろしくお願いします。

がんサポ通信・第36号(2019春)掲載

事務局からのコメント

古代中国の周時代に生まれた、立派な男性を意味する「大丈夫」。仏教で「大丈夫」は人を人生の苦しみから救うために修行をする菩薩のこと。一生懸命に頑張っている人は人として立派だと感じませんか。そんな人が傍にいれば安心しませんか。「大丈夫」を合言葉に、素敵ですね。

Voice 03

山里でがんと共に生きる

M・H(70歳代女性/肺がん)

私は今、里山に囲まれて緑豊な田舎に住んでいます。それまでずっと暮らしていた町から引っ越してきて、15、6年過ぎました。
定年後すぐに手術した夫のリハビリのために田舎で暮らすことを決めました。そのかいあって順調に回復し、健康を取り戻しました。それまでの心配ごとがなくなり、家庭菜園で野菜を作ったり、果樹を植えたり、時にはハイキングやサイクリングに出かけたりと、自然を満喫して暮らしていました。そんな折も折、今度は私のがんが見つかりました。今から5年前のことです。夫が8年間通い続けたその同じ病院で、検査・診断をしてもらいました。
結果はステージIVの肺がんでした。告知された時はさすがに体が震えました。しかし心の中では、こんなに健康な私が早々と死ぬわけがない、絶対勝ってやると強気な気持ちだけはありました。むしろ人間ドックで見つけてもらった幸運と、信頼できる病院の医師に診ていただける幸せに感謝しようと思いました。その後最初の入院を経て、自宅での療養が始まってからは、今まで習慣になっていた早朝ジョギングを、夫と一緒に再開しました。もともとランニングが趣味だった夫に指導してもらいながら、今までと同じようにスロージョギングを毎日続けました。私も彼のように元気になりたい、完治は無理でもせめて普通に家庭生活を送れるぐらいにはなりたいと思うと、熱が入りました。
時には強い副作用に苦しむこともありましたが、無理なくできるような散歩に切りかえたりして続けました。緑蔭を歩くといつの間にか元気になっていって、症状が緩和され、つらい時期をうまくやり過ごせたように思います。5年前とは違って、今ではウォーキングになりましたが、歩くことは高齢になっても、がんを抱えていても無理なく続けられる基本の運動です。これからも大事な日課として続けるつもりです。
今朝も峠まで散歩する道すがら、ねむの花が1つだけ咲き出したのを見つけました。去年も同じ場所に同じように咲いていた花に、今年また“生きて”こうしてめぐり会えた喜び、そんなささいな幸せが今日一日を愉しくしてくれます。どうか来年もまたこの花に会えるようにと祈りたくなります。1年また1年と元気に生きようという意欲も涌いてきます。元気に暮らしている私の姿をお見せできることが、この5年の月日を支えて下さったたくさんの皆さんへのご恩返しになると考えているところです。

がんサポ通信・第35号(2018夏)掲載

事務局からのコメント

がんによる症状や進行度にもよりますが、「運動できる人はしたほうがいい」というのが最近の定説になっています。世界がん研究基金によると、運動でがんに罹るリスクが下がるのは結腸がんで確実、閉経後乳がんと子宮体がんで可能性大、肺がん・肝臓がん・閉経前乳がんで可能性が示唆されています。

Voice 02

今こうして

M・K(60歳代女性/肺がん)

初夏の風が私の頬を爽やかに優しく撫でながら吹き抜けていきます。
私は研修旅行で大雄山最乗寺の階段を登り切り、青空を見上げていました。目を閉じると突如、肺腺癌の告知を受けた時のことが思い出されました。あの時、青天の霹靂どころか自分の身に何が起こったのか皆目見当つかず、私は茫然自失の状態に陥ってしまったのです。
4年半前のあの日、歯科医である私が「明日は患者さんの予約が入っていますから。」と入院を渋っていると、チームの若い女医さんに「命が大切ではないのですか。自分のことを考えて下さい。」と諭され、他人事ではないんだと思い知らされました。多発骨転移のため骨折予防にコルセットを新調して、分子標的薬による治療を開始。周囲に迷惑がかからないよう、歯科医の仕事はお休みしました。こうして患者としての私の生活がスタートしたのです。
「さて、どう生きるのか?」
それからは様々な講演会に顔を出し、情報収集に努めました。しかし、孤独感は募るばかりで、私の心を蝕んでいきます。「よし、支えあえる仲間を作ろう」と思い立って肺がん患者会に入り、がんサポートコミュニティーの活動を教えていただきました。私の大好きな音楽、いつの時にも心の支えとなってくれた様々なメロディー、そう思うと私の気持ちは温かくなりました。合唱団「いきのちから」との出会い。そこには愉快で簡潔明瞭な指導をなさる湯川晃先生をはじめ、私たちのためにオリジナル曲を作ってくださる小川史哲先生の優しさと愛に満ち溢れた沢山の曲が、私を待っていました。
「今こうして歌ってること、今こうして笑ってること、今こうしてこの場所で、今こうして生きていること」
この曲に巡り会って慰められ、それと同時に活力とまだ残された命の尊さ、素晴らしさを確認することができました。
「遠くへ遠くへこの歌を届けよう。広い世界を回ってあなたのために…」
この曲により周りの家族、友人、知り合い達への感謝と思いやり、未来永劫の命の繋がりを願う気持ちが湧いてきました。私は、歌いながら初めて涙が頬を伝わることを許し、泣いていました。
あれから1年、仲間もできて楽しく旅行できる日々を送れることに喜びを感じ、今こうして広い空に両手をかざしながら、生きるためのエネルギーをいただいています。渥美先生はじめ皆さまと汗をかきながら参拝した思い出は、私の心の中にいつまでも残ることでしょう。笑顔を絶やさず、元気な声で、いつも楽しく歌い続けながら…。

がんサポ通信・第33号(2017夏)掲載

事務局からのコメント

「患者」という字は「心を串刺しにされた者」と書きます。歯科医は歯を抜くことだけが仕事ではない。今は自分の心に刺さった串を抜き、大好きな音楽で癒すときかもしれません。

Voice 01

がんになって

J・O(50歳代男性/肺がん)

2011年8月の人間ドックで肺の右上葉に影が見つかり、がんの疑いがあると指摘を受け、国立がん研究センター中央病院において気管支内視鏡検査等を行ったが、がんと特定できなかった。主治医から開胸した際検査を行い、がんが見つからなければ手術を中止することができるとの説明を受け11月に手術。結果は残念ながら肺腺癌(ステージIa)肺右上葉を摘出。幸い、リンパ節等への転移もなく1週間の入院、その後自宅療養、手術後2週間で職場復帰したが、2013年10月再発した。
再発後の治療は、標準治療である抗がん剤の副作用を避けたかったこと、およびEGFRに異変があり、c-Met陽性であったことから、分子標的薬イレッサを2014年1月より開始。約1年後の2015年2月脳等への転移が見つかり、イレッサを中止。3月から治験に参加AZD9291とMEDI4736の併用投与開始、脳の腫瘍はサイバーナイフで治療、現在に至っている。
治療法は、主治医と話合い、セカンドオピニオンも利用し、本やネット等で情報収集し、家族納得の上決めたものの、再発はステージIV、毎回検査後医師から結果を聞くことに一種のストレスを感じ自分の気持ちをどうコントロールしたらいいか悩んでいるとき、がんサポートコミュニティーのことを知り連絡、入会手続きをした。
サタデーグループ(就労者のために土曜日に開催しているサポートグループ)に参加して、発症部位・治療状況が異なる方々から、メンタル面のコントロール法・最新治療情報・医師との接し方・体に良い食べ物等、皆さんの実体験に基づいたお話を聞けたことが、イレッサが効かなくなったとき、ただちに治験を受ける判断に役立ち、現在でも今の治療に満足している。また、サタデーグループに参加し自分の現状を話すことにより心が穏やかになり、元気になっていることを実感している。今後はさらに情報収集を徹底し、がんに良いと思われることに色々チャレンジして行きたいと考えている。

がんサポ通信・第31号(2016夏)掲載

事務局からのコメント

ヨットは、逆風でも帆を斜めに傾けて膨らませると、膨らんだ方向に引っ張る揚力が生じて斜め前に進み、それを左右に繰り返すとジグザグながら前に進んでいきます。そして、追い風よりも逆風のときに安定して前に進んでいきます。まさに左右交互に帆を張りジグザグながら前に進まされている姿に感じ入っています。て

Voice 04

がんばり過ぎをひと休み

H・H(60歳代女性/乳腺がん)

2014年7月左下外側部乳房温存手術を受ける。
就業中の立場にいる私は、看護師の手術入院事前説明時に「何か不安なことはありますか」の問いに経済的な心配が頭に浮かんだ。抗がん剤治療から放射線治療までの長期間の生活を維持できるだろうかと。手術やがんへの不安どころではなかった。
手術日までに、仕事を続けながら身辺整理で時間を消耗した。
しかし、私はFEC療法6クールの一回戦敗退。白血球急降下。通院での投薬であったが外来時で倒れ予定外の入院となった。
この時すでに主治医と抗がん剤及び放射線治療も中止は決めていた。白血球は若い頃から数値が低い体質であった。
トリプルネガティブの意味も確認しないまま手術を受け、抗がん剤について調べたのも中止決定後。
再発・転移は覚悟で定期検診のみで1年経過。「がんサポ」への入会。定期検診は必要なのかなという疑問もあった。「がんサポ」で皆さんの話を聞いても単語の意味がわからない。「まあいいか」で毎日の生活に追われている現状。
術後3年が過ぎ、生きている私にご褒美で石川県金沢能楽堂への時間を得た。久しぶりの小旅行。夢中になれる好きな能楽があったことで精神的に乗り越えたと実感している。
「がんサポ」への参加後のランチ時の雑談に感謝し、職場でのストレスも忘れ楽しみの時間に。
逆風に向かい走って来た私にストップをかけてくれた「がん」にありがとう。そして共存を望む私。もう少しでいいから、あばれないでね。ゆっくり歩こうね。と体に声をかけている。体の声に耳を傾けながら…。
これからも、皆さん、がん知識のない私をご指導よろしくお願いします。

がんサポ通信・第34号(2018春)掲載

事務局からのコメント

stressは、distress(苦悩、悩み)という言葉から来ています。さらにdistressの語源を辿っていくと、「一つのものがバラバラに切り離されること」という意味です。一つのものが切り離されることが、人間にとっての「ストレス」ということになります。がんを切り離さず、共存するというのはストレスからの解放を意味するのかもしれませんね。

Voice 03

メメント・モリ

Y・U(40歳代女性/乳腺がん・胃がん)

2014年45歳の夏、胸にしこりを発見。乳がんの手術、抗がん剤治療、放射線治療を受けました。現在もホルモン剤治療を継続中です。1年弱の治療後、厳しかった抗がん剤の副作用から立ち直るのに半年、そこからやっと元気を取り戻してきた2016年秋、再び胃がんの診断を受け、手術、1年間の抗がん剤治療が今終わったところです。
私にとってこの3年半は、死を意識しない日のない生活でした。最初の1年は死の影に怯える日々を過ごしました。がんについて学び、死について考え、生き方を見直した日々。そして、ニつ目のがんを得て、「人はがんで死ぬか否かに関わらず、いつか必ず死ぬ」のだということが理解できました。「死を考えることは、死ぬまでをどう生きるかを考えることだ」と思い至ったのです。メメント・モリ(memento mori)とは、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味だそうです。今まで自分のことばかり考えて過ごしてきた人生でしたが、他者や社会に思いを馳せ、絆を深めることができるようになったことと、自分が本当にやりたかったことに取り組み始めたことが私にとってのメメント・モリです。
の抗がん剤治療の副作用に苦しみ、床に伏せがちな日々の中で、「死にたくない」「死ぬのが嫌だ」と落ち込み、周囲からも「大丈夫」「まだ若いのだから頑張れ」と鼓舞されていた頃、遠方の妹から電話をもらいました。長く話をするなかで、妹は言いました。「お姉ちゃん、死んでもいいよ。お姉ちゃんは今まで一生懸命生きたよね」と。その時、背中を死神に掴まれていたような気持ちから、背中に天使の羽が生えたような感覚になりました。子どものころから自分より幼い存在だと見ていた妹から、天啓を与えられた私は大きな衝撃を受けました。自分にはこの世で学ぶべきこと、結ぶべき絆がまだまだあることを知りました。
今、私は子どものころから憧れていた音楽と文学に取り組んでいます。どちらも興味はあったものの、生活の糧を得るのが難しいとの思いから疎遠になっていましたが、2年前から合唱を再開し、第九の舞台に立つことができました。また、3ヶ月前からは俳句を始め、アメーバブログに唄洋(うたみ)という名前で俳句を綴っています。
病得て 魂歌う 季唄う(やまいえて たましいうたう ときうたう) 唄洋
自分を大切にし、他者に貢献し、森羅万象に感謝して生きていきます。

がんサポ通信・第34号(2018春)掲載

事務局からのコメント

「俳句は五・七・五の17音から成る世界最短の定型詩です。それは気づかないできた思いに気づくこと、その思いを凝縮させること、そして自分と向き合うことで解き放たれる何かを感じますよね。

Voice 02

希望を持ち続けるー“場”と出会い

M・M(50歳代女性/乳線がん)

2016年9月のペイシェント・アクティブ・フォーラムに登壇時は、重粒子線治療から1年半、残10%で縮小が止まったまま不安でしたが、程なく消失し、副作用も受け入れられる範囲に落ち着いてきました。診断から2年を振り返ると、大小200超のイベントに出席し、約500名の方々と言葉を交わしていました。その学びは、自ら意思決定することに集約できます。
治療法は多種多様で、標準治療でも病院により治療方針が微妙に違い、処方薬も異なることを、病気になり初めて知りました。そこで多方面から有効な情報を得て、自身に照らし合わせ蓄積することで、決断し主治医に伝えることは可能になりました。
日々の生活では、EBMに則り、痛みや体調のコントロール、睡眠障害の解消など、できることから取り入れ、心身の感覚に耳をすませ、取捨選択します。結果として、一つの食餌療法を妄信しない、特定の食品に拘らない、適度な運動など、普通のことが実は効果的と分かりました。
転院先が決まらないなど失敗はありましたが、がんサポートコミュニティーは幸運のひとつでした。時には、家族や親友でも伝わらない寂しさを感じることがあります。逆に、出会ったばかりで、種類やステージが違い、受け入れ方は様々でも、繋がりを感じることがあります。月に一度でも分かり合える人と語り合い、不安を一つずつ解消することには、大きな意義があります。
日本には高度な保険制度がある一方で、離職を余儀なくされ生活に困窮する人も少なくなく、心理社会的な問題は病院では解決できません。家族、親、人生など辛い思いを抱えながら皆、治療を続けています。体調が悪いと億劫になり、日光を浴びずに1日を終えることもあります。胸が塞ぎ、心が折れることもあります。孤独にならない、させない、温かい言葉をかけ合う〝場〟は、緩やかに新しい癒しに拡がります。
今後は、就労、アクセシビリティ、グリーフケアの3つのライフワークとそのグローバル化に取り組みます。医療に限らず、一人ひとりの智慧や文化を次世代に伝える、言わば善意の最適化が目的です。長らく中断しましたが、再開する勇気を持てたのは数多の出会いのおかげです。医療は、この数年で目覚ましい発展を遂げ、次々と新しい治療法が開発されました。完全制圧は先の日としても、希望を持ち続けることをやめてはいけません。真に共感し、協力し合える仲間がいることで、私たちはその日が来ることを信じられます。このような“場”が広く社会に認知され、多くの不安な日々を過ごされている方が加わるよう願ってやみません。

がんサポ通信・第32号(2017春)掲載

事務局からのコメント

「智慧や文化を次世代に伝える」は、遺伝子は自己に似た遺伝子を増やすことを目的とし、そのために個体を利用するダーウィンの進化論に対峙する新たな進化学説を唱えた英国の動物行動学者リチャード・ドーキンスを思い出します。まさにM・Mさんの取組みそのものが遺伝子かなと。素晴らしい取組みですね。

Voice 01

がんは神さまからのお恵み

K・T(50歳代女性/乳腺がん)

私はカトリック信者です。
毎週水曜日に開催されるカトリック赤羽教会の聖書勉強会で、講師のシスターから「“死”は“生”と隣り合わせで共存している。だから、私たちは“死”を考えずに過ごしてはいけない。」と教わっていましたが、私は「がん」になるまで死についてきちんと考えることはなかったように思います。
「がん」は、否応なく死と向き合わざるを得ない病であり、私の最も辛い体験です。
2014年6月、私はピンクリボンブレストクリニック表参道で乳がんの診断を受けました。
乳がんという重すぎる事実を頭の中で整理できなくなってしまった私は、診断直後に修道院を訪ね、シスターの前で泣きました。
確かに私は信者としてはダメな信仰生活を送っていたかもしれない。でも、日々それなりに一生懸命生きて来たし、法を犯したこともない。なのに、なぜ乳がんなのだろうと思い本当に悲しかったです。
泣きながら訴えた私の「がん」の報告が終わると、シスターは「病も神さまからのお恵みなのよ。今は、がんになって辛いと思うけど、がんになって良くなることが必ずあるはずよ。」と静かに言いました。
私は、今ではこの言葉がよく理解できます。
でもその時は、「がん」が神さまからのお恵みだなんて、全く思うことはできませんでした。
乳がんステージI右乳房全摘手術から2年半、今、私は二度目の人生を歩み始めています。
それは、「がん」になる前より幸せな人生であると信じています。がんサポートコミュニティーの皆さまとの出会いを始め、「がん」になったからこそ得られた素晴らしいことがたくさんあります。
特に去年、乳がんがきっかけとなり、30年ぶりにモダンダンスのレッスンを再開した事は、私自身とても驚いています。
乳がん発覚当時、娘は小学2年生で、まだまだ手がかかる年齢でしたが、この2年半の間に心身共に成長し、今ではかなり頼りになる存在となりました。
最近、私が元気を取り戻すにつれて考えなくなってしまった、「がん」を通して神さまからいただいたメッセージを、もう一度思い出し、胸に刻もうと思います。
そして、日々感謝の気持ちを忘れず過ごして行きたいです。

がんサポ通信・第32号(2017春)掲載

事務局からのコメント

1903年、ロシアの科学者イリヤ・メチニコフは、死の話題に科学的な関心を呼び掛けました。のちに死生学(Thanatology)となります。死に向き合うことで、死までの生き方を考える、大切な視点だと思います。

Voice 02

根拠もなく“がん”には無縁と思っていた自分

T・N(60歳代男性/前立腺がん)

2016年11月、自転車に乗ろうと足をあげた瞬間、股関節に激痛が走り、救急車で総合病院に搬送されました。異常な痛がり方に救急車のスタッフは整形外科医が緊急対応できる病院を選択してくれました。
搬送先の病院の整形外科医は、がんの骨転移に精通しており、がん骨転移の病的骨折の疑い、CT・MRI・生検および骨シンチ検査の結果、前立腺がん骨転移が原因で寛骨臼(股関節にあるくぼみで、大腿骨の骨頭がはまる部分)の骨折と診断されました。
実は股関節の痛みは半年前からあり総合病院の整形外科に通院、股関節に異常は認められず、がんに罹患しているとは夢にも思わず電気針・痛み止めで凌いでいました。
入院中はがん骨転移の知識もなく、まだ呑気に痛みの原因がわかり良かったと思い20日間安静にして骨折の回復を待ちました。
退院後ネット検索などで骨転移は根治しない現実を知り、副作用のホットフラッシュをきっかけに不安になり、泥沼に引き込まれるような閉塞感が強く、眠れない夜が続き「余命・死」という文字が頭の中を占領しました。
睡眠薬を処方してもらい睡眠は少し確保できるようになりましたが、このような状態は1ヶ月ほど続きました。
こんな不安定な状態から抜け出せたのは家族の力で、孫と遊んだり散歩したりだんだんと落ち着いた日常生活が送れるようになってきました。
病状はホルモン療法で前立腺がんの腫瘍マーカー(PSA)の数値が一時的に減少しましたが、半年でPSAが再上昇し去勢抵抗性前立腺がんに進行してしまいました。
この時も落ち込みましたが、ブログで知り合った同じ転移性去勢抵抗性前立腺がん骨転移の患者さんのアドバイス(受診日に腫瘍マーカー・画像結果がわかる病院の方が、病状が悪化したときに備えて早く対処できる)で転院して積極的な治療をすることにしました。転院先はアドバイスの条件を満たしており、転移性去勢抵抗性前立腺がんの治験があったので受けることにしました。PSAも4ヶ月で測定限界値まで下がり1年半続いています。
この転院先で、がんサポートコミュニティーを知り、柏サポートグループに1年前から参加しています。ここでは皆さん積極的に治療に挑戦しており、笑いを交えながら明るく(1)主治医との対処方法、(2)副作用対応、(3)日常生活、(4)心の拠り所等、多岐に渡り話し合っています。罹患した当初からがんと向き合うことが辛く、考えも堂々巡りで暗い毎日でしたが、柏サポートグループでは素直な気持ちで楽しく話題に参加でき、客観的に自分を受け入れることができます。
月2回の開催日が待ち遠しく、自分にとって緩和ケアの一環になっていると思っています。そんなことでホルモン療法の副作用(筋力低下・ばね指等)ありますが、趣味である家庭菜園・ガーデニングおよびDIYに一日中励んでいます。
最近読んだ本で「人は死ぬこと自体を恐れているのではなく、持っているものを失うのが怖いのだ」(新フロイト派の心理学者エーリッヒ・フロム)という言葉がストレートに心に響きました。
自分はがんに罹患するまで体力に自信があり、骨折したことも入院したこともなく健康で、近親者にがん患者はいなかったこともあり根拠なくがんには無縁と思っており、退職後はじめた里山・休耕田再生の活動を始め、この充実した日々が80歳代まで続き、「ピンピンコロリ」で終わるものと確信していましたが、この未練が死の恐怖になっていたのかと納得しました。今は体力も半減していますが、野菜作りなど好きなことができる幸せを感じています。
がんになって少し素直になった気持ちを大切に、日常生活を送りたいと思います。がんサポートコミュニティーの皆さま、これからもよろしくお願いします。

がんサポ通信・第37号(2019春)掲載

事務局からのコメント

ローマ時代の哲学者セネカは「将来のことを不安に思って、不幸にならない前に不幸になっている心だ」という言葉を残しています。がんサポートコミュニティーの創設者である故・竹中文良も自らの大腸がん体験から「がんになったことは不運ではあったけれど、決して不幸ではなかった」という言葉を残しています。

Voice 01

がん治療とその時々の思い

M・H(70歳代男性/前立腺がん)

2010年8月、初めてのPSA値検査(前立腺がんなどを調べる検査)で非常に高い値が出たため、精密検査を行いました。その結果、前立腺被膜の外まで広がっている第III期前立腺がんが見つかりました。
その時は、自覚症状もなくがんについての知識もなかったのでそれほどショックはありませんでしたが、何かで前立腺がん患者の平均生存期間は5年(今までは10年とのこと)という記事を見たような気がして、自分の人生も先が見えたなと思いました。
担当医師から、手術はできない、薬(ホルモン剤や抗がん剤)での治療になると言われ、同年9月からホルモン剤治療を始めました。数ヶ月で、PSA値は基準値以下になり副作用もほとんどなかったことから治療は順調に進んでいると思っていました。ところが、治療をはじめて3年近く経った頃からPSA値が大幅に上昇するようになりました。担当医師からホルモン剤が効かなくなってきたので、抗がん剤による治療に切り替えたいと言われ、2013年9月から抗がん剤治療が始まりました。治療を始めて、ほどなく副作用(白血球減少、脱毛、手足のしびれ等)が現れ、日常生活に支障をきたすこともありましたが、約2年続けました。
抗がん剤治療を始めた頃から、これまであまり関心のなかったがん治療に関する情報を必死に集めました。わかったことは、現在の医療では、がんの進行を遅らすのが精一杯ということでした。この事実を知って死を身近に感じるようになり、次第に気持ちが落込んでいきました。
この状況から抜け出すため、同じような体験をした方々の話を聞きたいと思っていたとき、がんサポートコミュニティーに出会い、その取り組みを知って即入会を決めました。入会後、最初に参加した短期サポートグループで、様々ながんと向き合い頑張っている人達の話を聞いたことや、自分の思いを話せたことで、重苦しかった気持ちも楽になりました。今は前立腺がんサポートグループに参加、皆さんの生き方やいろいろな情報をいただくことで、自分の気持ちも安定してきました。
2015年11月から、抗がん剤の副作用が嫌になったことや、新しいホルモン剤が出てきたことから、抗がん剤治療を中止し、再びホルモン剤治療を行っています。幸い副作用も少なくPSA値も下がり始めたので、この状態が長く続くことを期待して治療に励みたいと思っています。
東京オリンピックは是非観たいものです。

がんサポ通信・第320号(2017春)掲載

事務局からのコメント

2011年に放送されたNHKスペシャル「日野原重明、100歳いのちのメッセージ」のなかで認知症と肺を患う奥様が救急車で運ばれたとき、「死の足音を、音のない音を、頭の中に感じる」と吐露されていました。病を機に死を意識し、生き方を考えることは人生で大きな意味を持ちますね。

Voice 05

経験という贈物

K・I(60歳代女性/肝臓がん)

尋常じゃない痛みだった。みぞおちの膨満感と、内臓が捻じれ、痙攣しているような痛みだった。2011年12月に入ったばかりの夜だった。検査の結果、肝臓に5~6センチ3個、3~4センチ2個のがんがあり、腹水もあるという。
…そうか、やって来たのか私にも…62歳肝臓がんにて死去ってことになるのか…
生命の儚さを初めて知ったのは、父を事故で失った、10歳の夏だった。
やるだけのことをしよう、その後のことは神様の領域なのだからと思った。病院の待合室から国立がん研究センター東病院へ予約の電話を入れた。
「最悪、余命5カ月と言われたんですが…」と12月半ばに国立がん研究センター東病院の主治医に言うと、「破裂した時のことですね。滅多にないけど腹痛があったら救急車ですぐに来てください」と言われた。
年が明け、入院日程の知らせを待っていた10日夜、またあの痛みはやって来た。救急車で運ばれ、肝動脈塞栓術(TAE)による肝臓がん破裂の治療を緊急で行った。しかし、高熱は下がらず肝膿瘍を疑われた。翌月3日、TAEで死滅したがんを含む、4個のがんを切除し退院した。その後、肝臓の右葉に残った1個のがんを2回のTAEで治療したが、2014再び姿を現わし、今度はラジオ波で治療した。その後、肝臓内には姿を見せていなかった。しかし、徐々に腫瘍マーカー値は上昇し、右肺上葉部に8ミリのがんが現れた。肝臓がんの肺転移だった。肝細胞がんは肝内転移を繰り返すがん、破裂による腹腔内出血があったことから、今まで転移がなかったのは幸運と言われた。2018年2月肺切除した後は3カ月ごとに経過観察している。
2011年のがん発覚から5回の入院を経験することになったのだが、がんはキャンサーギフトと呼ばれるものを、私にもプレゼントしてくれていた。
救急隊員をはじめ、大勢の医療現場の方、がんサポートコミュニティーの柏サポートグループという場と患者仲間、友人や家族に支えられた経験。痛みや苦悩に耐え、先行き不安の波をやり過ごした経験、それらを越えてここまで来た経験は、かけがえのない、愛しい私の経験だった。そしてこの先も病の不安と共に生きる私は、この経験に励まされ、また、私自身を信じる礎になるだろう。
病室の窓から昇る朝陽に祈り、暮れゆく群青の空に明日を託した日々を忘れない。

がんサポ通信・第38号(2020春)掲載

事務局からのコメント

合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られるフランスの哲学者デカルトは、「経験というものは、人が知識において進めば進むほど、それの必要を感じさせるものである」と言っています。がんに纏わる経験は稲葉さんにとってまさにキャンサーギフトになりましたね。

Voice 04

16年目に思うこと

M・T(60歳代女性/肝臓がん)

私が肝臓がんで最初の手術をうけてから今年で16年目になります。当時は肝臓がんという思いがけない病気について何の知識もなく、大きな不安を抱えながら情報を求めて走り回り、何が自分にとってベストな選択なのか悩む毎日でした。
考えぬいた末、結局手術を選びましたが術後の病室の窓から10月の高い空を見上げて、少なくともあと5年は生きてやるとつぶやいたことを昨日のことのように思い出します。
しかしその一年後に再発し手術を、またその2年後に再再発でラジオ波焼灼を経験しましたが、幸運なことにこうして15年という年月を送ることができました。
ずっと心に留めておいたことがあります。それは決して自分だけの力ではない、いろいろな人達との出会いとサポートのおかげでこうして今の私が存在していることに感謝の気持ちを忘れてはいけないということ。また治療に関してはどんなに考え悩んでも正解があるわけでもなく、自分が納得できるまで調べ考えての選択、そしてその結果はどうであれそれを受け入れようと。そして常に希望を持ち続け、目の前にある小さな喜びを感じながら今を生きていきたいと。
そして15年が過ぎた今確かなことは、がんになったことで失ったものより得たもののほうが大きいということ。生と死、限りある命を意識することによって、今やりたいこと、気になることはとりあえず始めてみよう、一歩踏み出してみようと思うようになり、新たな世界が広がりました。
がんサポートコミュニティーの合唱団いきのちからへの参加もその一つです。月2回の練習は湯川先生の楽しいご指導のもとにあっという間に二時間が過ぎていきます。そしてみんなと声を合わせて歌う楽しさは生きているということを強く実感させてくれます。2012年には一団員からの発案で “がん経験者自身が自らの思いを歌詞にして歌おう”という有志による歌詞プロジェクトという活動が始まりました。その趣旨に共感した私もぜひ協力できたらと思い、それがほぼ40年ぶりにピアノに向かうきっかけとなりました。この活動は今も継続中、ひとりひとりの思いがまたいつか新しい曲につながっていくことでしょう。
これからも少しの勇気とたくさんの希望を胸に、肩のちからをぬいて一日一日を楽しく生きていきたいなと思っています。

がんサポ通信・第38号(2020春)掲載

事務局からのコメント

紀元前一世紀の古代ローマの政治家キケロが「始まりはすべて小さい」との名言を残しています。これからも歌詞プロジェクトで紡がれる言葉の一つ一つが大きな希望につながると信じています。

Voice 03

「私とがん」の共生

S・K(60歳代男性/膵臓がん)

このタイトルは大きいと思いますが、実際に生活をしていて感じるところです。
世界的建築家の安藤忠雄氏が「膵臓がんで膵臓全摘をした」記事を2017年9月28日付けの新聞で知りました。安藤氏は胆嚢・十二指腸・膵臓がなくても医師から「膵全摘した人で生きている人はいますが、元気になった人はいません」と言われたそうです。それを聞いた安藤氏は「それでは膵全摘で元気で生きて行こう!」と決心したようです。この記事を読んで私は元気を貰いました。
私は2017年3月に体に黄疸があり、食欲もなく胸がムカムカしていました。しかし、それ以外の自覚症状がなく普段通り勤め先へ朝食後向かおうとしていました。その時、息子から「仕事に行く前に病院に寄って診てもらったら」と初めて言われました。近くのクリニックで血液検査を受けそのまま仕事へ行きました。翌日、クリニックから勤務先に電話があり、「大至急伝えたいことがあるからクリニックに来るように」と言われました。クリニックでは「血液検査の結果、肝機能の値が基準値の10倍以上あり、精密検査が必要だ」と言われました。その足で、近くの総合病院を紹介され、そのままその総合病院に緊急入院となりました。2017年3月28日に検査入院をし、検査の結果膵臓に腫瘍があることが判明し、4月10日に約11時間におよぶ膵頭十二指腸切除手術を受けました。約2ヵ月の入院生活でしたが、6月末無事に退院し、同時期に前職を退職しました。しかし、すでに8月にはハローワークの紹介で新たなパートの仕事を始めました。
術後の生活は敢えて外に出るようにして、自宅では過ごさないことにしました。とくに抗がん剤の副作用には悩まされましたが、痛みより外に毎日出かけて忘れることにしました。もちろん家族の協力がなければこれはできませんので、それからはすべてのことを話すようになりました。とくに妻はがんになってからベストパートナーとなり何でも相談にのってもらう最大の助言者となりました。大感謝ですね。
その後、がんが膵尾部に転移し、同年10月に全摘手術を受けました。現在はゲムシタビンとアブラキサンの抗がん剤治療を2週間(1週休み)のクールで受け、またI型糖尿病患者として血糖値測定とインスリン投与を自己管理の下、毎日行っています。
普段の1週間の生活は、月曜日は生涯大学校へ通い、火曜日は通院、水曜日は休日で、木曜日には新たなパートを始めました。金曜日は市シルバー人材主催の中高年英語しゃべり隊の講師役をし、土曜日は合唱団へ行って大声で歌ってストレス発散し、日曜日は近所の老人福祉センターの受付のパートをしています。もちろん移動は徒歩中心で歩くことを心掛けています。
食事は制限もあるのでここでも妻の大援助をいただいています。
ここで大事なことの一つに経済的な観点が必要だということです。公的な経済支援は自分から積極的に動きかけ、市の高額療養費制度利用や障害年金等の活用などを最大限利用すること、これらを勝ち取ることも「生活が明るく過ごせる方法ではないか」と思います。
また私はがんサポートコミュニティーや膵がん教室やSNS等へも積極的に参加し、交流を広め、自分の境遇と同じ体験者がいないか探したりしています。
目指せ、それから追い越せ「安藤氏を!」

がんサポ通信・第36号(2019夏)掲載

事務局からのコメント

ジョン・グレイの著書『ベスト・パートナーになるために』では、「男は火星から、女は金星からやってきた」と評され、異性人である男女にとって「分かち愛」が何よりも大切と説きます。S・Kさんと奥様の関係、まさにベストパートナー、素敵ですね。

Voice 02

体に感謝

S・S(50歳代女性/肝臓がん)

2016年5月11日、初めての手術を受けるため、重い手術室の扉の前で名前を呼ばれる時を待っていました。同じ時間に手術を受ける患者の多さと、その付添人たちの光景に、まるでクリニックの待合室のような錯覚すら感じ少し安堵したものです。
肝臓に腫瘍が見つかったのは手術の1ヶ月半前、その後確定診断のための検査入院、術前検査と短期間にバタバタと慌しく時が過ぎて行きました。B型肝炎ウィルスのキャリアであることがわかったのが20代、その後しばらくして治療を始め20数年、その間、肝生検、インターフェロン治療等のため何度か入院はしたものの、それ以降は核酸アナログ製剤の服用で何とか日常生活に支障をきたすことなく過ごしてきました。しかし根治療法が未だなく、主治医からは肝がんになる可能性も指摘され続けていたので、いつかはこういう時がくるのでは?という思いは頭の片隅にあったのも事実です。がん告知の時にショックが小さかったのもそういう背景があったからでしょう。
あれから2年が経ち今思うことは、「体はなんて偉いんだろう!!」ということです。切除して半分になった肝臓は怠けることなく黙々と働き続けてくれ、衰えた筋力は術後のリハビリにと始めたウォーキング・ヨガで回復しつつあります。先ごろNHKで放送された「人体・神秘の巨大ネットワーク」によると、体の中ではあらゆる臓器や細胞がまるで意志を持っているかのごとく、互いにメッセージを送り合い生命を支えてくれているとのこと。それを思うと自身の体に感謝というのも変ですが、50数年もよく頑張ってくれたねと愛おしくさえ思うのです。これからは、体からのメッセージを私自身がもっと敏感に受け取れるように気を付けながら生活していけたらと思います。
この“がんサポ”に入会していなかったら、退院後の不安な気持ちから中々立ち直ることができず、将来の展望も見えずにいたかもしれません。いつも温かく接してくださる事務局・ファシリテーター・リラクセーションプログラムの先生方々、そしてメンバーの方々、がんになってこんなに多くの皆さんと出会えるとは夢にも思っていませんでした。本当に感謝です。がんになったら終わりではなく、そこからまた始まる人生もあるんだということに気付かされた今日この頃です。Life goes on.

がんサポ通信・第35号(2018夏)掲載

事務局からのコメント

医療の蓋然性という言葉があります。言い換えれば「医療の確からしさ」という意味。ある病気に対して同じ治療をしても、その治療を受けた患者さん誰もが良い状態になるということはないということ。今、2年が経ち回復しつつある体を感じられること、素晴らしいことですね。

Voice 01

今、思うこと…

E・K(60歳代女性/肝臓がん)

2013年7月、乳がんの手術から4年が無事経過し、あと1年で検診や投薬から卒業できると思っていた矢先のことでした。3月に健康診断で胃がん検査も受け、異常なしの結果だったにもかかわらず何ともいえない胃の不快感が続き、受診したところ思いもよらぬ膵臓がんの発覚でした。予期せぬ発病と部位のイメージの悪さにまず「死にたくない!! 何で私ばかりがまた!!」と、涙したのを覚えています。
落ち込んでいる暇もなく膵体尾部切除の手術を受けました。早期発見が極めて難しいがゆえに、5年、10年生存率もワースト1位という現実の膵臓がんです。私の場合、何か変だという体のサインを無視しなかったことが早めの発見につながり本当に良かったと思っています。術後補助化学療法として内服の抗がん剤を経て無事元気で過ごしていたものの再発という現実が1年半後に訪れ、2015年1年間は抗がん剤と放射線治療に明け暮れた年になりました。今のところ悪しきものはみられず内服による治療を続けております。
幼い頃から病気知らずで元気に働き続けていた私でしたので、二度もがんになるとは家族、友人も皆驚いています。一番驚いているのは本人なのですが、今は現実をしっかり受け止めて、体を休めて養生するのが私の仕事と気持を切り替えて日々生活しています。多分、気持が安定し、穏やかに、いつも心明るく日常を送れたら、それが病気に対する抵抗力や治癒力にもつながると思っています。
たまたまインターネットでがんサポートコミュニティーを知りました。私は消化器A(肝・胆・膵)グループに参加しています。私以外男性ばかりのサポートグループです。先日のグループで、がんの話ではなく認知症の心配の話になりました。がんは確かに怖い病気ですが糖尿病やら何やらと辛い病気は数々あります。特に年齢を重ねてくれば認知症への不安は大きくなってきます。でも、どの病気に対しても過度な心配や不安で心の健康を損ねることなく、生かされている大事な日々を笑顔で過ごしたいと思っています。
幸い、信頼できるドクターに恵まれ、温かくサポートしてくれる家族や友人、そして、がんサポの仲間やスタッフの方々がいます。皆に感謝の気持ちを忘れず、どんな現実が来てもしっかりと受け止められる、いわゆる“患者力”を高めておきたいと思います。
そして何よりも、1歳6ヶ月になる孫の成長は私の病気の特効薬です。これからもまだまだ見守り続けたいと思っています。

がんサポ通信・第30号(2016春)掲載

事務局からのコメント

英国に「Every man is his own worst enemy.(だれにとっても最大の敵は自分自身だ)」という諺があります。がん患者さんにとっての“患者力”はがんと向き合う力、がんは自分自身の細胞であることを考えると、自分自身と向き合う力なのかもしれませんね。

Voice 05

主治医の先生に贈る3つのありがとう

Y・U(40歳代女性/乳がん・胃がん)

2014年45歳の夏、胸にしこりを発見。乳がんの手術、抗がん剤治療、放射線治療を受けました。ところが、2016年秋、再び胃がんの診断を受け、手術、1年間の抗がん剤治療。さらに、2018年秋には乳がんの肺転移が発見されました。現在は乳がんの再発治療中です。
この5年間私を支えてくださった乳腺外科の主治医は、ひとまわり年下の優しくて賢明な女性の先生です。私はこの5年間で主治医からたくさんの感動をいただきました。本稿ではその中から3つのエピソードをお伝えしたいと思います。がんサバイバーである会員の皆様にはご自身の主治医に思いを寄せる契機としていただき、医療従事者の方々には患者が主治医に求めていることを垣間見ていただければ幸甚です。
1.安心感をありがとう
初発の乳がんの手術の後、主治医は目覚めた私のベッドにいらして手術の結果の説明をされました。「手術は問題なく終了したが、センチネルリンパ節生検で転移があったので、腋窩リンパ節郭清をした」と告げられました。
術前には、リンパ節転移はない見込みでしたので、私はショックを受け、絶句してしまいました。主治医は憔悴しきっている私の側を立ち去るとき、「あなたのことは見捨てない」とおっしゃいました。そのときは、「この先生についていこう」という安心と、「私は見捨てられるかもしれないほど、深刻な状況なのか?」という不安が交錯しました。
それから4年が経過し、再発を告知され、茫然自失となった私に、主治医は十分な時間をかけて話をしてくださり、私が現実を受け止め、再び前を向いて進めるようにしてくださいました。この時、私が主治医に存分に甘えることができたのは、4年前の「あなたのことは見捨てない」というお言葉があったからなのです。
今も最期まで面倒をみていただけるという安心感を持って、再発治療に前向きに取り組んでいます。
2.絆をありがとう
長い闘病生活の間には、様々な健康上の問題が生じます。私は何かに困るたびに、自分でみつけてきた他科の先生への紹介状を主治医に書いていただきました。そのおかげで、漢方、皮膚(毛髪)、緩和ケアの先生は私にとって大切な存在になり、いつも勇気づけられています。また、主治医は再発治療を開始した際に、先生方に再度医療情報を提供してくださいました。視点の異なる先生方からお話を聞くことによって、医療に対する理解を深め、自身の価値観の偏りを正し、自分らしい生き方、逝き方を模索することができていると感じています。
主治医が医療ネットワークのハブになってくださることは、私たち患者にとって、とても心強いことです。患者の病気を診るだけでなく、病気を持つ患者を一人の人として診ていただけることに感謝しています。
3.プロフェッショナリズムをありがとう
薬物による再発治療の効果が思わしくなく、転移が増悪した際、私は放射線治療を希望しました。しかし、主治医は薬物療法を優先する治療方針でした。充分な説明を受け、主治医のおっしゃることが合理的であるというのは、頭では理解できるのですが、気持ちがついて行かないことがありました。
そんなとき、主治医は放射線の先生へのセカンドオピニオンへ優しく送り出してくれました。そして、放射線の先生からのセカンドオピニオンが記載されたお手紙を読み、ご自身の治療方針を柔軟に変更して、放射線と薬物による治療を同時並行で進めることにしてくださいました。
このとき、ご自身の治療方針を変更したにもかかわらず、わだかまりなく、いつもの爽やかで優しいご様子でした。その姿を見て、プロフェッショナルとはこういう在り方なのだと教えられました。
これから、再発治療はまだまだ続いていきます。その過程において何度も、心が挫かれる体験を余儀なくされるでしょう。しかし、こんな頼りになる主治医が伴走してくだされば、決して立ち止まることなく、人生を全うできると思います。
主治医の先生に出会えた私は幸せです。先生、ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願い申し上げます。

がんサポ通信・第37号(2019夏)掲載

事務局からのコメント

ネルソン・マンデラ、ビル・クリントン、ゴルバチョフといった世界の指導者に影響を与えたライフコーチのトニー・ロビンズは「期待する気持ちを感謝する気持ちに変えてみるといい。あなたの世界は一瞬で変わるはずだ」と言いました。まさにY・Uさんの主治医への〝ありがとう〟はこれだなと思いました。

Voice 04

がんになって

K・U(50歳代女性/食道がん・肺がん)

「がんになって良かったことは何ですか?」
8年位前の事です。短期サポートグループの帰りに皆でおしゃべりをしている時、メンバーの一人の方から聞かれました。
その頃の私は、食道がんと肺がんの手術を同時に行ってから1年3~4ヶ月が過ぎ、少しずつ術後の身体が回復してきたとはいえ、機能が変わってしまった身体はまだまだ大変な時期でした。
そんな時の思いもよらない問いかけに、一瞬「ん…?」と戸惑ってしまいましたけど、振り返ってみると「良かったこと」が沢山あることに気が付き、視点を変えると違って捉えることができて、気持ちも前向きになるし素敵なことだなと思いました。
良かったことの一つに母と長い時間一緒に過ごせたことがあります。入院前からそばにいてもらい主人も私も心強かったし、こんなに一緒に過ごしたのは何十年ぶりのことでした。
ただ何年も経ってから、私の病気が解ってから母は心配して泣いてばかりいたと弟から聞かされたときは申し訳ない気持ちでいっぱいでした。私の前ではそんな素振りも見せずに明るくしていてくれたので安心して療養することができました。
胃腸が弱く健康には人一倍気を付けていた母ですが、昨年がんと診断されてから4ヶ月でこの世を去ってしまいました。最愛の母と会えなくなってしまった寂しさはなかなか癒えないですが、母の笑っている顔を思い出すと、ほのぼのとした気持ちになります。

がんサポ通信・第33号(2017夏)掲載

事務局からのコメント

生きている限り悩みの種は尽きません。お母様の影で涙汲む姿を知ったとき申し訳ないと思い、それをひた隠す姿に気づいて優しさに包まれる。悩みには実体がなく、ほとんどの悩みは自らの心が作り出す幻影、視点を変えれば消滅するものなのだなと感じました。

Voice 03

がん患者になって

S・H(60歳代男性/胃がん)

地域新聞の掲載から、本会のことを知り、がんサポートコミュニティーの会に参加してから、早くも1年になりました。当時、本会に入会する半年前に早期胃がんの手術を受け、思いもよらない毎日の食事療法と排便することの大変さを実感している時でした。また、9年前に女房を乳がんで亡くし、今回自分ががん患者になったこと、自分の仕事が抗がん剤などの新薬研究開発をしていたという何とも言えない複雑な気持ちで、落ち込んでいる時でした。
胃切除による消化機能低下から、食べられる物が制限されたこと、毎食毎の胃のダンピング症状による不快感、術前と比較して1回の食べる量が減ったこと、食回数が増えたこと、良く噛んで、ゆっくりと食べることに注意して食べないと、直ぐに便秘になるという、厄介な術後の後遺症がいろいろとあり、現在も回復はしていません。食事療法について、パソコンや書籍から得られる情報は以外と少ないこと、病院の先生に尋ねるのは3分診療では無理との思いから、参加すれば自分の症状に対する疑問点、不安、悩みが少しでも解消されるのではという期待感もありました。
実際参加してみて、皆さんがいろいろと不安に思うこと、共有できる情報が多くあることに、共感させられました。また、家族の方に話しにくいことも皆さんに聞いてもらうことで、自分のがんに対するストレスを少しでも、一時的にでも解消できる利点もあることにも、気づかされました。本会をいつも陰ながら、献身的にサポートして下さるスタッフの方に、心から感謝、感謝です。
心のケアについては、女房を亡くし、その落ち込みをどのようにケアしたら立ち直れるのかを悩んだ時期があり、現在の不安と少し共通点があるように思われます。自分の不安や悩みを少しでも相手に理解してほしい、共感してほしいという人間の本能的欲求かもしれません。
がん患者になり、気づいたことがあります。それは、自分だけがどうして、がんになったのかという思いです。初めてがんの宣告を医師から告げられた時のショックはまだ昨日のように鮮明に記憶しています。自分は数年前まで喫煙を長年してきましたので、がんになっても自業自得を思っていると同時に、同じように喫煙してきた友人はどうしてがんにならないのかという、被害者意識です。がんになる人とならない人の差はなんなのかという疑問です。
がん患者の不安、苦しみに対して、非がん患者(いわゆる健常者)は、本当に理解してくれているのか、その共感がないのではと思うことさえあります。
例えば、がんを切除しても治癒することはないことが、普通の病気とは異なることが非がん患者には理解されていないのです。退院してからも何年間もまたは死ぬまで通院することも理解されていません。また、自分が、がんになって初めて女房の心情が理解できたような気がします。がん患者と非がん患者の間には何か、渡り切れない、よく見えない運命かと思えるさだめ川が両者に横たわっているような気がします。非がん患者はがん患者の気持ちを本当に理解し、寄り添う気持ちを持って欲しいという、がん患者の切ない心の欲求かもしれません。
がんで死ぬことに特別な不安はないですし、むしろがんになったことから、自分の最期もある程度予期できるだろうと思っています。女房を亡くした1週間前まで、自宅でがん患者の看取りの経験ができたことからかもしれません。
がんに対する再発の不安はこれからもありますが、死に対する自然な悟りを持つこと、残りの人生をがんと共に生きながらえることができたら、とても幸せではないかなと思います。

がんサポ通信・第33号(2017夏)掲載

事務局からのコメント

「治療において体と心はひとつであり、切り離して考えてはいけない。体同様、心を癒やすことも必要なのだ。」という米国ルイジアナ州にあるツーレーン大学産科婦人科教授ジェフ・ミラーの言葉を思い出しました。

Voice 02

生きる力の回復

M・A(70歳代男性/食道がん)

2014年4月、会社の健康診断で精密検査を勧められ偶々受診した胃カメラで食道がんの発症を告げられました。初めは、内視鏡で患部を除去すればよいとの話でしたが、6月下旬さらに食道を全摘する根治手術が必要と告げられ、一気にもうこれで人生もおしまいかという思いに晒されていきました。
7月初め不安と焦燥のなかがんサポートコミュニティーを訪れ、A先生の相談を受けました。それまで外科医から手術以外はないとの説明を受け、暗澹たる日を過ごしてきましたが、先生からどの道を選ぶかはあなた次第ですよと、そして、必ずしも手術がベストか分からないし、手術には相応のリスクが伴うと、これまでとは違う意外なご意見でした。が、なぜかそのことでこれまでの暗闇の世界にほのかな光が射し込んできたように感じました。現実から目をそらさず、しっかり自分の足で歩いていくようにとの助言であったかと思います。これで、気持ちがすっきりしT大学病院での手術へと繋がっていきました。
サポートグループには、手術前の8月に参加しました。手術を控え、不安で一杯でしたが、グループの皆さんから心優しい励ましを受け、気持ちも和らぎ、順調に手術を済ますことができました。ところが、退院してしばらく経つと身体にいろいろ不具合が生じ、こんな厄介な病を背負いこみ、この世から置き去りにされていくという、せつない落ち込みに苦しむことがありました。その一方、こんな辛い目にあったので、もう何もしなくても許されるといった投げやりで身勝手な解放感に浸っていくこともありました。そんな中、心温まるグループの輪の中で、皆さんが毎日をしっかりと前向きに、がんと向き合っている姿に接し、改めて生きる意欲が身体の奥底からじんわりと湧き上がってくるのを感じました。まさに社会の一員として真の市民権、生きる力を回復した思いです。
これからも、この集いに歓びを感じながら参加し、同じ課題を抱える皆さんのために何某かの力になっていければ幸いです。

がんサポ通信・第32号(2017春)掲載

事務局からのコメント

内科医であり文学博士であり倫理学者でもあるリタ・シャロンが提唱したナラティブ・メディスンというのがあります。病いの意味を認識し、吸収し、解釈し、それに心動かされて行動する医療です。まさにグループの輪の中はその実践の場の一つかもしれません。

Voice 01

無縁坂…

I・K(50歳代男性/胃がん)

定期健診で胃に腫瘍が見つかり、2015年3月18日に東京大学医学部附属病院で内視鏡検査を受けました。その場で「画像を見る限り胃がんです。」といとも簡単に告げられました。あまりにも淡々と告げられたので、その瞬間は全く実感がわきませんでしたが、病院から帰る無縁坂の途中、電話で妻に事実を伝えると「なんで、なんで、なんであなたが…と」泣きじゃくりながら聞き返す声に、思わず涙が溢れ出し、「とんでもない病気に罹ったんだな、もしかしたら死んじゃうのかしれない。」と、自分が置かれた過酷な現実を思い知り、泣き顔で不忍池まで下ったのを昨日のように思い出します。
4月9日に同病院で開腹手術を受けました。3分の1程度は胃を残せるかもとの診立てでしたが、胃壁内部で噴門近くまでがん細胞が広がっていたため全摘出になりました。また、リンパ節13か所に転移が確認されステージIIIcの進行癌でした。幸い術後の回復は順調で9日後に退院でき、5月のゴールデンウィーク明けには職場復帰できました。しかし、本格的な戦いはここから、術後の標準治療で服用を始めたTS-1の副作用で、6月には強烈な下痢のため1週間の緊急入院、加えて流涙が止まらず、9月には涙道確保を目的にチューブの挿入手術を受けました。その後も下痢と流涙その他の副作用が続いています。
病気を知ってから、ネットをアサリあさり、本を買い込み、また、図書館で論文を調べたりと、自分なりに情報を集めましたが何れも納得できず、その過程で出会ったのが「がんサポートコミュニティー」でした。七月からサタデーグループ(主に就労者のためのサポートグループ)に参加していますが、他の患者さんの様々な思いや悩み、色々な取り組みなど、貴重な実体験をお聞きすることができ、また、自分の思いを吐き出せるため、非常に有意義な機会となっています。望むらくは、このような生の声がもっと医療現場に反映され、多くの患者さんの助けになったら素晴らしいのにと思う次第です。

がんサポ通信・第30号(2016春)掲載

事務局からのコメント

がんと向き合うとき、夫婦の、グループメンバー同士の支え合いは大切ですね。人間はケアし合う存在であるという意味で「ホモ・クーランス(Homo Curans)」という言われることがあります。これはドイツの哲学者ハイデガーの主著『存在と時間』において、人間存在を「気づかい」(ラテン語でcura)という語で特徴づけたことに由来します。

Voice 05

術後10年目を迎えておもうこと

M・K(50歳代女性/卵巣がん)

私が卵巣がんの手術を行ってから早くも10年目を迎えました。2007年に最初に受診した病院で卵巣がんと診断され、一度目の手術をしましたが腫瘍が他の臓器に癒着していて腫瘍摘出を断念。抗がん剤治療で小さくしてから再度手術することになりました。9ヶ月間治療を続けた翌年、2008年に逆に腫瘍が大きくなってしまい、もう手術はできないので緩和ケアに行くように勧められました。
諦めきれずにセカンドオピニオンの病院探しが始まり、最初にジャパン・ウェルネス(現がんサポートコミュニティー)の故竹中先生、渥美先生に面談していただきました。「手術ができる病院があるのではないか。諦めずに手術に挑戦したほうがよい。他の婦人科医の意見を聞いたほうがよい。」等の貴重なアドバイスをいただき、諦めかけていた自分に再び頑張ろうという気力が湧いてきました。その後、国立がんセンターでセカンドオピニオンを受け、都内の大学病院の先生を紹介いただき診察を受けることができました。先生がCT画像を5分ほどジッと見てから言われたことは、「手術できますよ。この病院ではあなたのような難治性のケースでも手術できる研究をしています。」でした。2週間後には大手術となりましたが、無事腫瘍を取りきることができました。2008年の手術後10年経過しますが、再発もなく現在に至っております。先生との出会いは奇跡であり、命の恩人だと思っています。
当時のことを考えると今でも闘病の苦労と不安な気持ちが思い出されて、今ここに元気な自分がいることが信じられないくらいです。10年前に病院から手術ができないと言われた時、私は体調も悪くもうほとんど病気と立ち向かうことを諦めていて、セカンドオピニオンを受けるとか、誰かに相談するとか、何か行動を起こそうと考えることができませんでした。そんな私に主人から「他の病院にいろいろ聞いてみよう!」と励まされ、私はやっと行動を起こす気になりました。自分一人だったらどうなっていたのかとも思います。家族や医療関係等の話を聞いてくれる相手がいることの重要性を感じました。相談することによって新しい情報やいろいろな考え方を得て、これからどうしたら良いのか自分の考えを整理し前に進むことができます。心身ともにしんどい時ですが、自分の殻に閉じこもらずに行動することが大切だと思いました。また、術後5年目を迎えての受診で再発を確認できなかった際、先生が「Kさんには悪いけど、問題ないなんて信じられないよ。」と再発してないことにとても驚かれていました。先生は再発も想定されていたのでしょうが、想定できないことが起こるのです。だからなおさら、あの時に諦めないで行動して良かったと改めて思いました。
私は昨年勤めていた会社を退職したこともあって、以前参加していたプログラム「サポートグループ」に再び参加を始めましたが、その場で改めて感じたことがあります。ここでは自分のことを話し、参加者の話を聞くことによって、自分の置かれている状況を整理できて、次に何をしたらよいか、考えやすくなるように感じました。病気に対して迷っていること、進んで良いのか悩んでしまうことも、参加者に意見を出してもらい自分とは違う視点の考え方を参考にして、自分が前へ進む後押しにされている方を目の当たりにしました。患者の皆さんが一人で悩まずこのような場と仲間と出会って、活かしていけますように願っております。

がんサポ通信・第36号(2019春)掲載

事務局からのコメント

ノーベル生理学・医学賞を受賞したフランスの外科医アレクシス・カレルが著書『人間 この未知なるもの』で、「抽象概念としての人間を考えていたってダメなので、実際に存在する個人ベースで考えないといけない」と指摘しています。「想定外」という言葉が一時話題になりましたが、「想定内」ということの方が実は少ないのではと思います。

Voice 04

がん歴8年の足跡

C・O(70歳代女性/卵巣がん・乳がん)

2010年の秋、便潜血反応陽性との結果を受け、大腸内視鏡検査を受けた。横行結腸に病変が認められ、大腸がんとして入院、手術で左の結腸を切除した。術後の病理検査の結果、卵巣がんの結腸転移と診断され、すべてが飲み込めないまま婦人科を受診することになった。医師から「卵巣がんが腹膜内に播種し転移した塊を採る必要があるが、手術をしたとしても5年以内の再発率は60%」と告げられた。
身内にがんに罹った者が多かったこと、生命に対して運命論者的な捉え方をしていたせいか、医師の言葉を平静に受けとめ、再手術の決断を見送っていた。医師から「あなたのような我儘な人に限ってお腹がポンポンになってから“どうにかしてくれ”って言ってくるんですよ!」と叱られた。
目が醒める思いで、すぐに抗がん剤治療を始めた。お決まりの脱毛、食欲不振、白血球減少の副作用に見舞われた。3クール終了後には急性精神病を患い40日間の入院、抗がん剤治療は中止になった。退院後、婦人科を受診すると腫瘍マーカーが標準値だから手術できるとの診断で、1ヵ月後に40センチの開腹手術を受けて、子宮、卵巣と付属器、大網、盲腸リンパ節を切除。術後の病理検査でリンパ節54ヶ所への転移は認められず、以後の治療の必要はないと。4ヶ月に一度の経過観察を続け、今年で8年目を迎える。
2014年の秋、今度は偶然右乳房にしこりを発見。初期の乳がんと診断されて全摘することにした。生検の結果、トリプルネガティブタイプでリンパ節転移なし。抗がん剤治療の適用だったが、私の場合、以前に精神的なダメージを受けた経緯もあって、今のところ経過観察だけで積極的な治療は見送っている。
親戚のなかに乳がんに罹った者が多いことから「遺伝子症候群」が気になり、「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)」のカウンセリングを受け、検査を依頼。その結果は「遺伝子の変異が検出された」との判定だった。
自分の身体ががんに罹患しやすい要因を持ち、精神的なダメージを受けやすいことを初めてしっかりと受けとめ、これから先の私に残された生の時間をどう生きるべきか考えはじめたとき、「がん哲学外来」を知り、すぐに面談を受け、大いに啓発された。先生を取り巻くたくさんのがん患者やサポーターとの出会いがあり、患者を対象とした講演会、リレー・フォー・ライフへの参加、マギーズ東京訪問、病院内の患者会への積極的な参加、自分にしかできない役割を探そうとして…疲れていた。
そんなとき、がんサポートコミュニティーに柏サポートグループがあると知った。さらにグループ以外にも「合唱団いきのちから」というリラクセーションプログラムの一環としての音楽療法があることを知って、それまで忘れていた「自ら歌い、ハーモニーの中に身を置く快感」を思い出した。早速、合唱団いきのちからのメンバーになって実践する。身体が喜び、充たされ、血液の汚れが解消するように感じられる。指導してくださる先生も私たちが患者であることを踏まえてくださっていることも有り難い。皆、合唱が好きで、かつ大病を経験していることで、不思議な精神的バランスを共有しつながっているような気がする。
再発や転移の不安は常に脳裏をかすめている。でも最近では第九やレクイエムの合唱団の団員募集を見つけて応募し参加している。人の力になること、役に立つことも大事。だけど自分の心の声に耳を傾けて、残りの生命が輝くことを見つけることも大切かな…と思う昨今である。

がんサポ通信・第35号(2018夏)掲載

事務局からのコメント

仏教で「自灯明」という言葉があります。それは「自分の進むべき道を自分の光(灯)で照らしながら進む」という意味です。自分の心の声に耳を傾けるというのは、何事であっても最終的に自らが解決策を持っているということに自ら気づくこと、それは「自灯明」そのものです。

Voice 03

半生をがんと付き合って

M・S(70歳代女性/卵巣がん)

思えば私のがんとの付き合いは人生の半分以上の歳月となりました。
それは3年前のこと、以前より指摘されていた胸水の原因が、35年前に初発、その13年後に再発した卵巣がんの肺転移と判明したのです。
初発は32才の時、まだ本人への告知は考えられない時代でした。病名、手術、治療内容はひた隠しにされ、子供を授かることができないと説明されたのは退院直前のこと、事後承諾のような状況に納得できず、退院後うつ状態になってしまいました。
一方でこの辛い経験は、それまでいかに自分が傲慢であったかも気付かせてくれました。以前に比べ他者の悲しみに共感できるようになり、弱い立場の人に思いを寄せられるようになったと感じました。
数年後に医療関係の仕事に復帰し、様々な病と向き合っている患者さんの姿にわが身を省み気持も落着いてきました。
その後腹膜に再発して手術、抗がん剤治療を受けた時に初めて初回の手術内容が納得できたのです。失ったものは命と引き換えだったのだと。それまでの悶々とした気持は感謝に変わりました。
ところが今回の再々発、しかもステージIV。何で今更?再発から22年も経っているのです。手術はできない、治らないと言われ絶望感で全身の力が抜けてしまいました。
退職後、これからの生活を心楽しく模索していた目前に、黒い幕がバサッと下ろされたようで、初めて切実に死と向き合わざるを得なくなりました。
「治療の目的は元気で長生き」との担当医の言葉に励まされ、抗がん剤治療を始めたのですが、どうしてもがんを消してしまいたい思いが募ります。
終りのない治療、がんとの共存という現実に落ち込んでいたある日、病院でがんサポートコミュニティーのパンフレットを目にして早速参加させていただきました。これからやってくるだろう厳しい局面をとても一人では乗り切っていく自信がなかったからです。
それまでは周囲の人に心配をかけたくない一心で不安は自分の胸に押し込め、元気なフリをしては孤独を感じていました。
しかし同じ立場の人の中に身を置くことの心強さ、安堵感は大きなものでした。皆さんから前向きな考え方、貴重なアドバイスをいただき、自分の状況を客観的に見つめ直すことのできる有難い場となっています。
初発の時にこのような場があったらどんなに救われたことか。お蔭で今は二度目の休薬中です。
死への覚悟はそうたやすくは持てません。がんとの共存という状況を少しずつ受入れてはいますが、新たな転移やいつまで治療を続けられるかという不安は常にあります。
一方で古稀を迎えることができたことに感謝の思いが湧いてきます。当たり前と思っていた日々は決してそうではなかったのだと。
生かしていただいている命に値する時間を過ごせているか自問しながら、命には限りがあることを意識してこその有難い日々です。

がんサポ通信・第35号(2018夏)掲載

事務局からのコメント

シャミッソー著『影をなくした男』をご存知ですか。悪魔の罠に抗うなど不可能。だからこそ主人公は“諦観”という英断をしたのです。現状から目を背けたっていい、今の道を諦めたっていい、頑張り過ぎて心が完全に折れてしまうよりは。とりあえず逃げて最悪の事態を回避する方が賢明というときもあります。がんサポートコミュニティーもそんな時の待避所であればと思っています。

Voice 02

今を生きる

M・K(50歳代女性/子宮体がん)

病気になり価値観も変わりました。今までは明日も明後日も普通にくると思っていたのですが、それが明日は普通にこないかもしれない。後悔しないように今を生きる。会っておきたい人には会い、行きたいところには行っておく。それが、主人も私も病気になって初めて実感したことです。
去る2015年5月、主人がALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断され、車椅子での介護生活が始まった矢先、同年7月初期の子宮体がんを宣告され腹腔鏡での手術を受け、退院した直後、実父が亡くなりました。激動の日々の始まりでもありました。
主人の介護生活は、訪問看護と介護ヘルパーの組み合わせで対応しましたが、2016年2月、自宅での介護も限界となり施設に移りました。
介護タクシーから自宅を離れる時は涙していました。その姿をみる私もつらく自分の病気のことは忘れていました。でも車椅子で散歩したり、小旅行にも出かけたりしました。
2016年11月、主人の様態が急変し痰がからんで呼吸が難しくなっているとの連絡あり、気管切開をしました。
人工呼吸器は、“Totally locked in state”、つまり、封じ込め状態(意識ははっきりしているが全く動けない状態で残りの人生を過すこと)になってもつけると本人も家族も医師でもはずせない。それは自殺幇助になるから。日本の法律がそこに横たわっていました。その覚悟はあるかとの医師からの本人と家族への意向確認。私は病気を抱え、精神的、経済的、体力的にも人工呼吸器の選択は不安があると主人に正直に伝えました。私のことをおもんばかってか呼吸器はつけないとの主人の選択でした。
そして2017年4月、あと主人の余命が数か月から半年ですと言われた矢先、同年5月、子宮体がん再発の宣告でした。
そんな時、藁にもすがる思いでがんサポートコミュニティーのサポートグループに参加。そこでとても心強いアドバイスとサポートをいただけました。医師からは「(がんを)取りにいきましょう」との言葉もいただき、セカンドオピニオンの先生も手術し抗がん剤治療をすると治る可能性が高いとの言葉をいただきました。
同年8月、主人が亡くなり、その2週間後、私は手術台にいました。手術後、抗がん剤治療が始まりました。闘病中は、家族やがんサポートコミュニティーで知り合った友人からの心強いメッセージ、「みんな応援しているよ、一人じゃないよ」との温かい言葉が私の心の支えになりました。同年12月、抗がん剤治療も終わり、今度は職場復帰の不安にある中、サポートグループに参加し、そこでもとても心強いアドバイスがあり、無事復帰できました。本当にみなに支えられた日々でありました。
本当にありがとう。そして、これからもよろしくお願いします。

がんサポ通信・第35号(2018夏)掲載

事務局からのコメント

ドイツの哲学者エルンスト・ブロッホは著書『希望の原理』のなかで、「閉ざされた静的な存在概念から決別することによって初めて、希望の現実的な地平が浮かび上がってくる。」とあります。行動しさえすれば、希望が見えてくるということです。そして希望を抱くことができれば、人は自分を変えることもできます。

Voice 01

再発を繰り返して

E・K(50歳代女性/卵巣がん)

<がんがわかった時>2011年5月、少し前から腹部膨張感が気になっていたこともあり、近所のクリニックを受診しました。触診でしこりが見つかり、大学病院にて検査の結果、卵巣がんと診断されました。それからは入院、手術、病理検査の結果はステージIIIcで、取り切れなかった残存腫瘍あり抗がん剤治療となりました。体調不良で仕事を休むことなどなかった自分にまさかの卵巣がん…。5年生存率25%という数字が恐ろしくショックで頭が真っ白になりました。治療が進むにつれ副作用は辛いものがありましたが、次第に癌の原因や治療法について学び、自分でできる食事療法や手当てを取り入れました。治療が終われば副作用のしびれも改善され髪も再生し復職もできると信じて経過観察となりました。
<再発が分かった時>治療後半年過ぎた頃からマーカー数値が上昇し、画像にて再発が確認されました。いつか何処かに再発転移するかと恐れてはいたものの、自分は大丈夫とも過信した気持ちもあり、初発時とは違う絶望感でいっぱいでした。主治医から「これからはがんと付き合う生き方になる」と言われ、人生の重たい荷物を背負うことになったと思いひどく落ち込みました。抗がん剤治療で薬効はあるものの、しばらくするとまた再発となり、モグラ叩きの状態を繰り返しています。
<5年が経過して思うこと>この5年間に抗がん剤30クール治療しました。耐性もでき、敵は手強い相手ですが、自分が作ったがんの言い分を最近は聞くようにしています。厳しい病状でしたがQOLを落とさず生活できたことはとても嬉しく、家族や周囲の方々に感謝しています。5年間生存できたので、頑張って4年後の東京オリンピックも絶対観戦したいです。
がんサポートコミュニティーには一昨年より入会し、サポートグループ、合唱団いきのちから、アロマテラピー、自律訓練法などのプログラムに参加し有意義な時間を過ごさせていただいています。スタッフの皆様には大変お世話になり、ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。

がんサポ通信・第30号(2016春)掲載

事務局からのコメント

江戸時代の本草学者(中国で発達した医薬に関する学問)である貝原益軒は著書『養生訓』で、「心を平静にして徳を養う」ことの大事さと、「心の楽しみを知る」ことの効用をしっかりと述べています。E・Kさんにとってがんサポートコミュニティーが「心の楽しみを知る」場となれればいいなと思います。

Voice 03

がんになって思うこと

H・N(60歳代女性/腎臓がん)

どうしてそんなに自信が持てたのか、今は不思議だけれど、私は生涯がんになることはないと思っていた。
実は4年くらい前から腰痛に悩まされていた。坐骨神経痛が特につらく、椅子に十分座っていられない状態になっていた。
遊園地を歩き回った翌日から痛みは始まり、腰痛体操で落着くも、バランスを崩して腰を捻ったことで、また痛みをぶり返したり、一進一退を繰り返していた。
決して医学書に書かれているように、がん特有の、ジッとしていても痛い、段々と強くなる痛み、というものではなかった。
整形外科のある病院を訪ねたのは、2016年5月のことだった。いつもはレントゲンだけだったが、その日はMRIの検査を受けた。緊急電話で再受診。骨に腫瘍らしきものが写っていると言うではないか。青天の霹靂とはこういうことを言うのか。病院スタッフの親切すぎる対応から私は最悪の事態を感じ取っていた。
私は夫を6年前に肝臓がんで亡くしていた。夫は肝臓がんからの骨転移が見つかってから急激に悪化し、3ヶ月しないうちに息を引き取った。その時の情景が脳裏に浮かぶ。もしがんなら他の臓器からの骨転移かもしれない。私も夫と同じ道を辿るのだろうか。何かの間違いであってほしい。腫瘍であっても良性のものであってほしい。祈るようにそう思ったのを今でも鮮明に覚えている。
紹介状を持って受診したがんセンターは、前の病院とは違い、のんびりした時間が流れていた。検査をしても、その結果がわかるまで、2~3週間待たされることもあった。
担当医の診断も歯切れが悪い。最初、原発は腎臓だと言われ、副腎だと変わり、何回もの検査の結果、ようやく腎臓ということになった。最終的には腰の骨からの生体検査で、腎臓由来のがん細胞が検出されたのだ。私は担当医に検査結果が出る日を急かしていたが、最初の検査から2ヶ月近くが経ち、貴重な時間が失われていた。
最終的な診断が下った。腎細胞がん、ステージIII、腎臓から副腎にかけての原発がんの大きさは9センチ。骨に広範囲の転移ありというものだった。大きな血管ががんの近くにあることもあり、残念ながら手術はできず、治すこともできませんと言われた。
えっ!9センチ、広範囲に骨転移!・・・絶望的な言葉が頭の中で回っていた。
病気とは無縁な生活をしてきた私にとっては、悪いことをしていないのに死刑判決を受けるような、こんな不条理なことが起こったことに驚愕していた。
唯一の救いは、延命のための薬があることだった。分子標的薬ヴォトリエントの主な副作用の説明を受け、よく考えて2週間後に来院するように言われたが、私はその場でその薬を今すぐ処方してほしいと頼んだ。時間を無駄にしてはいけないのだ。
薬を飲み始めてすぐに腰痛が楽になったので、薬の効き目を実感した。その後、肝機能が悪化し、高血圧、下痢、食欲不振などの副作用に苦しめられたが、薬の量を半分にすることで乗り切れた。がんは薬服用の半年後、急激に縮小し、その後は安定状態に入っている。
がん告知の日から1年半以上が経つが、こんなに生きるとは正直思わなかった。それどころか生まれ変わったと思っている。当初は毎晩涙があふれていたが、デトックス効果か、その後は楽になった。夢の中で死んだ夫や両親と会うことができた。目を閉じれば、生まれてからの私の人生が思い出された。忘れていたことをたくさん思い出した。懐かしい時を過ごすことができた。音楽に心揺さぶられ、本を読んでも深く感じることができるようになった。
患者会ですぐにでも死ぬようなことを言ってきたけれど、今、思い出すと恥ずかしい。これからは生きることに意識を向けていこうと思っている。

がんサポ通信・第36号(2019春)掲載

事務局からのコメント

涙の研究をしている神経科学者ウィリアム・フレイは、「涙を流すことで、自分で意識すらできてない、身体的に悪影響を及ぼすほどのストレスを減らすことができます。」と言っています。逆境に立たされたとき、涙を流すことは一番の対処法かもしれません。

Voice 02

がんになって気づいたこと

M・S(70歳代男性/膀胱がん)

2017年8月、尿色異変を認め、また尿閉の兆候があり、勤務先近くの泌尿器科クリニックを受診しました。触診、超音波検査、尿細胞診を実施、後日尿細胞診の結果を待つことになりました。
後日の結果は、特に指摘されるような所見はありませんでしたが、担当医から節目の年齢なので、一度総合病院で精密検査を受けたらとのサジェスションをいただきました。そこで紹介状を書いていただき、翌月地域の総合病院を受診しました。
各種検査のうち、膀胱鏡の検査中、表在性の膀胱がんが見つかりました。早速担当医より、発見された表在性乳頭状がんについて詳しい説明があった時にはなぜ自分がという思いもありましたが、と同時に早く見つかってよかったとの安堵の気持ちも心の中に芽生えていました。
2017年10月、内視鏡によるTUR-Bt(経尿道的膀胱腫瘍切除術)により無事腫瘍を摘出しました。経過は良好でしたが、尿路の感染症が発生し通常の入院期間より多少長くなりましたが、退院することができました。
退院後、今後のためにも患者会のような組織に加入したいと考え、インターネットにて探しておりましたところ、設立理念等に共感し、がんサポートコミュニティーにこの12月に参加させていただきました。グループメンバーの方々は、がんサバイバーの大先輩方が多くおられ、知識、経験、知見とも素晴らしい皆様で、新参者の私には眩しく輝いて見えております。3年間は3ケ月に一度、病院の定期検査がありますが、検査日が近くになるにつれ気分がトーンダウンすることもしばしばですが、メンバーの皆様から励まされる日々で何とか乗り切ることができております。手術後1年2ケ月が経過しましたが、幸い再発の兆候はいまのところありません。
がん患者となって、これからどう生きるかを考える良い機会になりました。
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られないように今ある瞬間を大事にしなければならないと思います。
また目に見えないけれど大切なものが沢山あることに気づかされます。医師、看護師、臨床心理士の皆様の熱意、家族の理解と協力、励まし、がんサポのメンバーの心温まるご指導があったからこそと心より感謝しております。

がんサポ通信・第36号(2019春)掲載

事務局からのコメント

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」は、NHK『チコちゃんに叱られる!』に登場する5才のチコちゃんが問いかける素朴な疑問に大人が答えられないとこの決め台詞で叱られる。タイトルロゴに描かれた「Don’t sleep through life!」は「ボーっと生きてんじゃねーよ!」の意訳。直訳すると「生涯眠るな!」ですが、sleepがsleepwalkであれば「無自覚な人生を送るな!」の意味。“今ある瞬間を大事に”通じますかね。

Voice 01

がんになって思うこと

Y・N(60歳代女性/膀胱がん)

2012年12月血尿が出て、検査の結果膀胱がんが見つかり、2013年1月に内視鏡手術を受けました。幸いがんは表在性で膀胱摘出は免れたのですが。
それまで大病の経験のなかった私は、運動もし、食事にも気を付けていたのに「なぜ、がんになったのだろう?何がいけなかったのだろう?」という思いでいっぱいでした。表在性膀胱がんは再発率が高いということで、その後BCG療法を何度も受けました。
再発の覚悟はしていたのですが、2015年9月に尿管入り口に再発が見つかり、レーザーで切除しました。
2016年1月には膀胱内に二度目の再発が見つかり、内視鏡手術を受けました。
がんサポートコミュニティー(がんサポ)を知ったのはエッセイストの岸本葉子さんの本がきっかけです。岸本さんの本は何冊か読んでいて、その中にがんについての本もあり、がんサポについても書かれていました。
自分にがんが見つかって改めて読み返してみると、深く心に響くものがありました。当事者になって初めてわかる戸惑い、疑問、不安など、共感することが多くありました。二度目の再発の後電話をし、説明会、短期サポートグループを経て、現在は混合サポートグループに入れていただいています。がんサポに入って感じたのは、皆さん前向きでお元気なことです。
そして2016年10月、3度目の再発が見つかりました。二つあり、一つは今までと同じ表在性で、もう一つは性質の違うものなので膀胱摘出になるかもしれないとのことでした。膀胱摘出を前提に、がんサポの医療相談を受け、手術のことやセカンドオピニオンについて教えていただきました。
結局、手術後の病理検査では表在性膀胱がん以外にがん細胞は見つかりませんでした。BCG療法の影響で紛らわしいものができたようです。
最近では、気長にがんと付き合っていくしかないのかなと思えるようになりましたが、それでも検査が近づくと心配と不安が強くなります。
また再発したらがんサポで話を聞いてもらおうと思っていますので、これからもよろしくお願いします。

がんサポ通信・第32号(2017春)掲載

事務局からのコメント

米国の精神科医ジミー・ホランドによるとサポートグループへの参加は「現実的な期待に基づいて困難を克服する技術を分かち合う機会をもつことが困難に対処するために役立つ」と指摘しています。

Voice 05

御茶ノ水の橋の上で

M・H(50歳代女性/舌がん)

まだ東京に住む前、御茶ノ水の聖橋からの眺めが大好きで上京の度にわざわざ訪れていた。ガタゴトと走る電車、神田川に浮かぶカモ、夕陽を反射して黄金色に輝くビルの窓。地方在住者の私にとって、都会的な顔とは真逆だけれど、まぎれもなく東京を象徴する風景だった。でもその頃の私は、何年か後に自分ががんになり、御茶ノ水の病院に度々通うようになるとは思いも寄らなかった。
私が初めてがんに罹ったのは19年前の春。花粉症の鼻詰まりによる口呼吸のため、朝起きると口の中が乾いて舌が歯に貼りついていることが続いた。口内炎のような軽い痛みが数週間後には激痛に変わり、さすがにおかしいと口腔外科へ。そして組織検査の結果、舌がんの宣告――。異変からまだ2カ月、40歳の私には青天の霹靂だったが、幸い初期がんで治療は手術のみで終わった。
手術前は早くがんを取り除きたい一心で突き進めたものの、本当の意味での闘いは手術後から始まった。半年間で2回も白板症(前がん病変)ができ、有無を言わさず日帰り手術。麻酔もあまり効かない中での手術は、痛みと恐ろしさで握りしめた手に爪跡が真っ赤に残るほど。このペースで切除を繰り返していたら舌がなくなってしまうのでは?私は、取っても取ってもすぐに勢いを取り戻すがんの恐怖にとりつかれてしまった。
2年後に東京に転居後、今度は日帰り手術の適応外の大きな白板症を発症し、7年目で再発。初期の異変を申告したのに見逃されたためその病院で手術を受ける気になれず、転院先に選んだのはあの御茶ノ水にある病院だった。
舌がんは歯茎や上顎、咽喉頭、食道がんとの併発も多い厄介ながん。術後に食事や言葉が不自由になってうつ病になったり、顔が変形してしまったりとQOLが低くなるケースも多く、がん患者自殺率が1位だとか。その新聞記事を読んだ時、『私一人が弱いわけではなかった』と心がすーっと軽くなった。死ぬことよりも後遺症の方が何倍も恐ろしく、弱い自分をずっと責めていたのだ。
一昨年の秋にはまた前がん病変ができ、てっきり再々発だと焦った私は、もう一人では耐えられないとがんサポートコミュニティーに駆け込んだ。そこでがんの仲間と出会い、長い長い病気の経過を打ち明けると、あふれる涙と共に心が一気に解けていくのを感じた。サポートグループで月に2回悩みを吐露することで不安から解放され、ふと気がつくと舌のしびれや痛み、口内炎も減少し、驚いたことに小さな白板症は消えてしまった。医師には精神状態との関連は否定されたけれど、心の安定が体にもよい影響を与えたとしか考えられない。17年間孤独に再発の恐怖と闘っていた私にとって、コミュニティーは真っ暗な夜の海を明るく照らす灯台のような場所となった。
今年、御茶ノ水の病院通いを始めてから無事に10年を迎えることができた。あれから幾度となく橋の傍を通っているのに、大好きだった風景を眺める余裕はまったくなく、病院との往復だけで時が過ぎて行った。『もうそろそろ、いいよね…』。自分に言い聞かせ、久しぶりに橋からの風景を見下ろすと、昔と同じ眺め――駅の改良工事の足場に大きく遮られてはいるけれど――がそこにあった。
今でも白板症はあり、医師からは一生病院に来るように言われている。だからと言って、いつまでも病人ではいられない。これからは「10年経てばこんなに元気になれるんだ!!」と他の患者さんに希望を与える存在にならなくては!工事完了後の黄金色の景色に想いを馳せながら、胸に誓った。

がんサポ通信・第37号(2019夏)掲載

事務局からのコメント

悩みを言ったらいけないと思って、溜め込んでいたりすると心が苦しくなります。悩みを吐露することは、浅蜊の砂出しのように体の中に溜まった毒を排出する大切な作業だと思います。

Voice 04

私を支えてくれた出会い

Y・N(50歳代女性/胸腺がん)

20万人に1人もいない希少がんの胸腺がんが見つかったのは2015年1月。手術、放射線治療と慌ただしく過ぎていく日々は、身体の治療は進んでいっても、心ここにあらずというような毎日でした。
すべての辛い治療を終えて退院し、医療者の監視下から離れ独り立ちする頃に、私は大きな不安に押しつぶされそうになりました。胸腺がんは希少がんであり確立された治療法はまだありません。同じがんの方に出会ったこともありませんでした。退院後まもなく信頼を寄せていた胸腺治療に詳しい主治医の転勤も不安をさらに大きくしました。それからというもの毎日とめどなく涙がながれました。
わが家は転勤族で単身赴任の主人は私の治療が終わるころ東京に転勤になりました。精神的に不安定な私を心配した東京にいる主人から「宝塚歌劇団のチケットをもらったので観に来ない?」と連絡があったのは、退院後1ヶ月ほど経過した頃でした。
術後の痛みもあり、体調の不安もありましたが、環境を変えることも必要だという思いから思い切って関西から東京に出かけてみることにしました。その時偶然に、がんサポートコミュニティーの情報をネットで見つけました。医師、看護師、社会福祉士や臨床心理士といった専門家による手厚いサポート、リラクセーションプログラム、複数の医師による医療相談やイベントを企画されていて心強い患者支援団体だと知り行ってみたいと思いました。
幸い主人の単身宅からはとても近く早速連絡して、活動紹介の説明会に参加しました。初めて訪れた私を創設者である故・竹中文良先生の大きな写真とスタッフの方々が優しい笑顔で迎えて下さいました。説明会では医師や臨床心理士、がんサバイバーの先輩達の前で私が今まで抱えてきた色々な思いを素直に話すことができました。心地良い雰囲気の中、皆さんはただ、私の話を静かに聞いて下さり、「辛い中でも自分の気持ちをしっかりと整理して話されましたね」と言って下さいました。その時すっと心が軽くなった感覚を今でもはっきり覚えています。
その後、私と同じように色々な思いを抱えるがん友さんが集う短期サポートグループに参加しました。そこで出会ったがん友さんは最良の友人です。参加することのできたすべてのイベントは私に元気と笑顔と勇気を与えてくれました。そして、私はこのまま元気になっていくと信じていました。
けれどもがんは一筋縄ではいかないですね。放射線治療の晩期合併症、食道狭窄が1年後に起こり、生命を絶ちたいと思うほど辛い状況になってしまいました。その時に私の支えになって下さったのが渥美先生と大井さんでした。渥美先生には私の辛い状況を聞いていただき、色々とアドバイスをいただきました。大井さんからはセカンドオピニオンの病院を紹介していただきました。そのセカンドオピニオンの先生との出会いはその時点での現状を受け入れ前向きになる大きなきっかけになりました。
私自身未だ壁にぶつかることも多く悩みも現在進行中です。そんな私を、大阪サポートグループを担当する大井さんはじめ、参加されるメンバーの皆さんに今も支えていただいています。がんにならなければ出会わなかったがんサポートコミュニティーとの出会いは私にとってかけがえのない宝物になりました。

がんサポ通信・第37号(2019夏)掲載

事務局からのコメント

一休宗純禅師が亡くなる直前、「この先、私が亡くなった後本当に困り果てた時にだけ、これを開けなさい」といった巻物がありました。数年後、困り果てた弟子が巻物を開くと「大丈夫だ。心配するな。なんとかなる」とだけ書かれていました。私たちはY・Nさんに「大丈夫だ。心配するな。なんとかなる」と声をかけ、すべてはY・Nさんが乗り越えてきたものだと思います。

Voice 03

がんを受け入れられるまで

C・C(60歳代女性/歯肉がん)

2017年6月はじめ、「今日午後4時までに病院(日本大学歯学部付属病院)に来られますか?教授から結果の説明があるのですが…」との電話がありました。すぐにタクシーで不安を抱えながら病院へと向かいました。もちろん悪い結果だと内心思っていましたが、教授の診断は細胞診の結果、IからVまでのうち最悪のVであるということ。「喉までいっているかな…」と不安を煽る言葉を投げつけられました。病名はその場では言われませんでしたが、“がん”であることはわかりました。そして「明日にでも柏の国立がん研究センター東病院へ行ってください」と紹介状を渡されました。母が乳がんを患っていたので、乳がんに対しては気をつけていたのですが、まさか歯肉にがんができるとは思いもしませんでした。
国立がん研究センター東病院でもいくつもの検査をし、ステージIの右上顎歯肉がんと診断されました。「とりあえず骨、リンパ節にはいっていないでしょうから、がんの部分を切除すれば大丈夫でしょう」ということで、少しホッとして無事に手術を終えることができました。
ところが1ヶ月後に何気なく触った右耳後ろにしこりを感じ、すぐ検査を受けたところリンパ節への転移が見つかりました。ステージIだと思っていたら、すぐに転移で、精神的にとても落ち込んで精神腫瘍科のお世話になりました。
2017年9月に転移してしまったリンパを取るためリンパ節郭清術を受けました。その後、抗がん剤治療、放射線治療と続く予定だったのですが、私の落ち込みようが激しかったため、体力的に両方は無理だと判断され、放射線治療だけを受けることになりました。口の中にも照射するので味覚が一時的になくなり、唾液も出なくなり、飲み込みが悪くなるということでした。そのため胃瘻造設手術をすることになりました。
手術はもうたくさん、もう嫌だと思い、前にも増して精神的にとても落ち込んでしまいました。でもそのままというわけにもいかず手術を受けるしかありませんでした。
胃瘻も落ち着いてきた10月末から放射線治療が始まりました。月曜日から金曜日まで毎日不安を抱えながらの通院でした。周りのサポートのお陰で何とか33回の治療を終えることができました。それからは定期的に検診、検査を受けながら過すことができています。
今年の7月で2年になりました。時が経つにつれて自分ががんになったこと、そして共に生きていくしかないのだと受け入れられるようになってきました。このような気持ちになれてきたのは家族、そして周りの人たちのサポートがあったからだと感謝しています。
そして勇気を出して柏サポートグループに参加したことが、私にとって良い方向へ向かい、本当に参加してよかったと思いました。そこには同じ仲間がたくさんいること、そこでのその人たちとの会話を通して、つらい思いをしているのは自分ひとりではないことを実感できました。これからも仲間の人たちから元気をもらえる柏サポートグループに参加したいと思います。

がんサポ通信・第37号(2019夏)掲載

事務局からのコメント

医師は診療以外の行為を患者に見られている自覚に乏しいのに対し、患者は医師の無意識な行動まで気になるものです。医師は正確に患者の病状を説明することが患者にとって大切と思うあまり、時に不安を煽る言葉も浴びせてしまうことを無意識に無自覚にしてしまうのかもしれません。

Voice 02

がんからの回復を目指して

M・S(50歳代女性/後腹膜脂肪肉腫)

腹部膨満感と胃もたれに悩まされ、病院に通い内視鏡検査やレントゲン、ピロリ菌除去等を行いましたが改善せず、やっと後腹膜脂肪肉腫という稀な病気だと診断されたのは異常を感じてから1年半以上たった2014年4月でした。
国立がん研究センター東病院を頼りましたが、詳細な検査結果から下されたのは、もう手遅れで手の施しようがないという宣告でした。血の気が引きましたが、これだけ医療が進歩してきているのだから何かしらやれることはあるはずと食い下がりました。しかし医師の答えは、「腫瘍が大きく腹腔内のほぼ全臓器に接しており切除は不可能、抗がん剤はなく、放射線治療もできない、今のうちに好きなことをして悔いのない時間を過ごしてください。」というものでした。
見捨てられたような絶望感に襲われましたが、民間療法でもいいから何かすがれるものがないかとインターネットで検索し、本を読み漁り情報収集をしました。その中で出会った『ガンに打ち勝つ患者学』という本の「あなたのがんを治す中心人物は外科医でも誰でもなくあなた自身です。治療の主導権を握りましょう。」という言葉に感銘を受け、セカンドオピニオン、さらにサードオピニオンと病院を巡りました。
ようやく辿り着いたがん研有明病院では「確かにリスクは高く、開けてみないと切除できるかわからないが、やってみましょう。切除できる可能性は十分あります。」と言っていただき、治療をお願いしました。そして手術の結果、腫瘍全体の切除に成功したのです。主治医は、「1箇所転移があったのと腫瘍に取り込まれた左腎と結腸も切除せざるを得なかったのは残念だけれど、すべて切除したからもう大丈夫」とにこやかに説明してくださいました。私の選択は間違っていなかったのです。
幸せな気持ちで退院した私ですが、その後の身体と心のコントロールが予想以上に大変でした。思うように動かない身体、再発や転移の不安からストレスフルで孤独な毎日。そんな時にがんサポートコミュニティーと出会ったのです。サポートグループで初めて出会ったメンバーは、私の悩みにご自分の経験を含め真摯に回答してくださり、救われました。発症部位や治療状況などが異なる様々な方々と、同じがんの経験者ということでこれだけ心を通わせることができ、欲しい情報が得られ、精神的に助けてもらえることに感動しました。
今、私は復職を目指しています。復職の際の手続き、産業医との面談、復職後の身体のケアなどについて皆さまから助言をいただき、自信がついたからです。これからも皆さまとの交流を通してがんを克服していきたいと思います。お世話になっているスタッフ、メンバーの皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。

がんサポ通信・第28号(2015春)掲載

事務局からのコメント

悪性腫瘍は癌腫と肉腫に分類されますが、肉腫は筋肉や神経、骨などの結合組織に発生する悪性腫瘍で、発生頻度は少なく、大人のがん全体の1パーセント程度と言われています。サポートグループはがん種を超えて集い、語り合える場ですよね。

Voice 01

Cancer Gift

Y・S(50歳代男性/喉頭がん)

私は、サタデーグループ(就労者を対象としたグループ)に、2014年の5月から参加しています。
まず、私の病歴を紹介します。私は、約6年前に、喉頭がんを発症し、今までに2回再発しました。2回目の再発は、2013年11月に発症し、手術で全部取除き、その後1年間、再発防止のため抗がん剤(TS-1)を投与しました。現在は、抗がん剤投与が終了し、経過を観察しています。
私は、主治医から二度目の再発は、「転移」と告げられ、「全身転移→死」をイメージし、ショックを受けました。それと同時に、今後の治療方法に迷っていました。なぜなら、1回目の再発後、野菜中心の食生活、にんじんジュース等、がん予防のため、生活を改善したにもかかわらず再発したことで、今後何をすれば良いか、わからなくなっていました。そんな時、同じような境遇でがんと闘っている人の情報が一番信用できると思い、インターネットでこの会を探して入会しました。
私は、2014年5月からグループに参加して、色々な人の話を聞き治療に対する有効な情報を得ることができたと同時に、同じような境遇の人が、がんばっており、自分に戦う勇気と希望をもらいました。特に、影響を受けたお二人を紹介します。
一人目は、Yさん。私は、この方の、治療に対する知識量の多さと、情報収集のすごさに、驚きました。医者任せではなく自分で治療方法を決める姿勢、海外のホームページを検索し、有益な情報を得ようとする姿勢は、私の手本になっています。
もう一人は、Hさん。2014年12月のグループに来られた時、「来年の桜は見られないだろう」と余命宣言をされました。私は、改めてがんの恐ろしさを認識したと同時に、この会の意義を再確認しました。
最後に、私はこの会で「Cancer Gift」と言う言葉を知りました。本来は、「がんになってはじめてみえてくる“命の大切さ”、“時間の大切さ”、“回りの人の暖かさ”」と言う意味ですが、私にとって、この会で知りあった“戦友”が、まさに“Cancer Gift”です。
再発の不安がないと言ったら嘘ですが、入会前の恐ろしさ・不安は消えています。なぜなら、この会で、がんとどのように付き合っていくかが大事だと学んだからです。私は、今後もこの会に参加しながら、「再発したらどのように対処しようか?」、「どのようにがんと付き合っていこうか?」を模索しながら、がんと闘っていきたいと思います。

がんサポ通信・第28号(2015春)掲載

事務局からのコメント

“Cancer Gift”と聞いてGiftとPresentの違いは?と物思いに耽りました。フッとしてルーズベルト大統領夫人の「Yesterday is history, Tomorrow is mystery, and Today is a gift. (from God) That is why we call it present.」というスピーチの言葉を思い出しました。和訳すれば「昨日は過去のこと。明日は未知のもの、そして、今日は(神からの)贈り物(gift)。だから「現在」のことを「プレゼント(present)」と呼ぶのです。」でしょうか?素敵な言葉だと思いませんか?

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